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2007年12月24日 (月)

クリスマスとMarymas

クリスマスがキリストのミサという意味から名づけられたのに倣って

マリアの祝日、特に3月25日の「マリアの受胎告知の祝日」を

Marymasと呼ぶことがあります。(「マリア百科」、洋書新刊として紹介済み、2007年刊より)

今年は「クリスマス百科事典」という翻訳書が出版されましたが

Marymasについても同様の翻訳書籍が欲しいものです。

少なくとも図像学的には同じくらいの内容の豊かさがあります。

またマリアの生涯でこの2つの出来事の間、

懐妊期のマリアを描く図像を扱った Maria gravida という

書籍もあります。

2007年12月23日 (日)

図像学用語 ヤ~数字など

ヤエル

薬剤師

薬草奉献

ヤシ枝伝説

宿屋探し

山  → 聖なる山の、 もみよ

ユーゲント

ユダ幼児救出

ユディト

ユリ

ゆりかご

ヨアヒム

幼児の眠り

幼児礼拝

善き女羊飼いマリア:名称 不統一?

善き航海の

善きRat

ヨセフ

ヨセフの疑い

ヨハネ →両ヨハネ

喜び、マリアの

喜びの元

ライオン

楽園女庭師

ラクタヌス

ラファエル前派

ラエル

リベカ

両ヨハネ

 ダ・ヴィンチコードは

マグダラのマリアと

愛弟子ヨハネの混同を

「空想」するが、

 「真摯」な図像学では

「歴史的」事実である

両ヨハネの「混同」を

立証する

リンゴ

ルツ

ルルド

レジティメーション像

レディー・チャペル

レパント

煉獄(の火)  → スカプラリオ

蝋燭製のマリア像

蝋の奉納

ローマ

ローマ

ローマ

ロザリオ

炉の中の若者、3人

ロバ

路傍の柱像

ロマネスク

ロマン主義

ロレト

ロレトの連祷

ロレト・チャペル

論題画

鷲 Gaier

星、12の

3

5月の祭壇

5月の小祭壇

7

7つの悲しみ

7つの避難

7つの喜び

8

8月15日~9月13日

Oの聖母

SHS 人間救済鑑

図像学用語 マ~モ

マリアとヨハネの別れ

埋葬

マエスタ

マギ

マギーの礼拝

マニエリスム

マニフィカト

マフォリオン

マラッチ

マリア神殿奉献

マリア像運び

マリア誕生

マリアとヨセフのベツレヘム到着→ベツレヘム到着

マリアの体

(マリアの)心

マリアの死

マリアの魂

マリアの埋葬

マリアヒルフ崇敬

丸天井 Gewolbe

マント

マンドーラ

マント授与

ミカエル

御子イエスを折檻するマリア

御子イエスを高く掲げるマリア像

水での証

見捨てられた者の聖母: Desamparados

ミニアチュール

麦穂

無原罪の御宿り

 →ピュリッシマ

 →トータ・プルクラ

 →蛇を踏むマリア

 →無原罪のマリアの、原罪(の蛇)に対する勝利

 →論議(無原罪の御宿りについての)

ムーア、ヘンリー

鞭打ちの柱

胸十字

銘文

メダル

目の動き

メルセデ会の  →Mercy, Merced

メロヴィング

燃える茨

盲人の光

黙示録の女

モノグラム

門、天の

門、閉じた

図像学用語 ハ~ホ

墓の女たち

墓への運び

ハギオソリティッサ

梯子、ヤコブの

ハス

バテシバ

花嫁

花輪 kranz

ハバクク

パピルス

バラ

バラ垣のマリア

パラダイス

バルダキン

パレスティナ →オリエンタリズム

バロック

版画連作

ピエタ

ヒエンソウ

光  →  盲人の光 もみよ

ビザンティン

被昇天

羊飼い → 女羊飼い、善き女羊飼い もみよ

羊飼いの礼拝

避難所、罪びとの (守護のマント)

ヒパパンテ

ビブレ・モラリゼ

表現主義、 14世紀の図像との思わぬ類似

ビレアム

鶸 Steilglitz

貧者の聖書

ファティマ

ファティマ・チャペル

フィジオログス

フェニックス

福音書記者ヨハネ  →ヨハネ

復活

復活後出現

ぶどう房

船を持つ → 善き航海の

踏絵

ブラケルニティッサ

ブラッセ、 Bourasse

プラティテューラ顕示台

プラティテューラ

フランドリン、

フランドル

ブリュッケ、橋派

フリューリ、ロオール・ド、

プレデルラ

ブローチ Agraffe

プロテスタント

平和の女王

ペスト像

ベツレヘム行き、到着、、マリアとヨセフの

蛇、楽園の

ペラゴニティッサ

ペリカン

ペンダント  Anhanger

宝石

訪問

星  → 12の星、他 もみよ

星、ベツレヘムの

ホディギトリア

ペリカン

ボノファ 鳥

ボヘミアのマリア像

ポルタナイッサ

ボワロン派

図像学用語 タ~ノ

ダイアコニン:小アプシス

第一ヴァティカン公会議、1869~70

戴冠

戴冠、マリア像の

大聖堂彫刻

タイプ

タイポロジー

ダイアモンド

代祷の

太陽

大陸

ダチョウ

脱衣

ダナエ

ダニエル、ライオンの穴の

ダヴィデの玉座

ダヴィデの塔

ダフネ

タペストリー

ダリ、サルヴァドール

タンパン

乳房

チャラドリウス 鳥

頂上(建物や山の)にあるマリア像

杖、 Rute

月、半月

罪びとの避難所 →  避難所、罪びとの

ディアナ

帝国宝珠

ディスコス、円皿

ディスピュータ:教義論争

デヴォーショナリエン

デーシス

手紙

デキシオフィルーサ

手首

手仕事

デフェンソリウム

デヴォラ

天使

天使奏楽

天使ピエタ(哀悼)

天使の輪

天の女王

展覧会

洞窟

トータ・プルクラ  →無原罪の御宿り

動物

東方趣味 →オリエンタリズム

ドーム  Kuppel

トカゲ

徳、美徳

閉じた庭

トリケルーサ

とりなし

トリニダード

トンド 円型画

ナザレ派

ナデシコ

悩める者の慰め

ナルテックス

南蛮芸術

ニケ

ニコポイア

二重

ニューマン

庭のシンボル

ニンブス

ヌト

図像学用語 タ~ノ

ダイアコニン:小アプシス

第一ヴァティカン公会議、1869~70

戴冠

戴冠、マリア像の

大聖堂彫刻

タイプ

タイポロジー

ダイアモンド

代祷の

太陽

大陸

ダチョウ

脱衣

ダナエ

ダニエル、ライオンの穴の

ダヴィデの玉座

ダヴィデの塔

ダフネ

タペストリー

ダリ、サルヴァドール

タンパン

乳房

チャラドリウス 鳥

頂上(建物や山の)にあるマリア像

杖、 Rute

月、半月

罪びとの避難所 →  避難所、罪びとの

ディアナ

帝国宝珠

ディスコス、円皿

ディスピュータ:教義論争

デヴォーショナリエン

デーシス

手紙

デキシオフィルーサ

手首

手仕事

デフェンソリウム

デヴォラ

天使

天使奏楽

天使ピエタ(哀悼)

天使の輪

天の女王

展覧会

洞窟

トータ・プルクラ  →無原罪の御宿り

動物

東方趣味 →オリエンタリズム

ドーム  Kuppel

トカゲ

徳、美徳

閉じた庭

トリケルーサ

とりなし

トリニダード

トンド 円型画

ナザレ派

ナデシコ

悩める者の慰め

ナルテックス

南蛮芸術

ニケ

ニコポイア

二重

ニューマン

庭のシンボル

ニンブス

ヌト

図像学用語 サ~ソ

最後の審判

最後の晩餐(の部屋)

祭壇

 ドイツ、でのFlugel 祭壇の例

祭壇としてのマリア

サイレーン

ザカリア

サクラメントハウス

ザクロ

坐像

サタン

サファイア

サラ 1

サラ 2

サロメ

三王の礼拝

サンゴ

三重の冠

三重の母

サンタ・マリア・マジョーレ教会のモザイク

産婆

三博士

三位一体

三連画

シェーベン

仕事、職業

仕事、聖家族の

視線:同じ高さで向き合う

視線の交流

視線:向き合わない

下ガラス絵

室内のマリア

使徒 → 黄金ガラス

シナイ

シバの女王

シビル 巫女

十字架刑

十字架アレゴリー

十字架下ろし

十字架運び

十字架道行き

シュールレアリスム

守護 パトロ

守護マリア像

守護マントのマリア

受胎告知

授乳

出現

受難サイクル

受難のマリア像

受難を予感するマリア像

シュラインマリア像

シュラミテ

巡礼者マリア

巡礼徴

巡礼地

巡礼手紙

巡礼ペナント

小祈念像

小さな紙 Ess

上智学

上智の座  

昇天、キリストの、マリア・オランスを含む

勝利の

ショーンリーベ

燭台、七脚の

植物 → 樹、花、、、、

処女、 賢い、と愚かな

処女のなjかの処女

処女の樹

書物

照明 → 光

正面画 Fassade

真珠

神殿の乙女

神殿奉献

神殿の幕

審判

神秘のバラ

崇敬コピー

崇敬像 ドイツ語

ズードコス・ペゲー

枢要処女

スカプラリオ

杉 サイプレス

杉 セダー

救いの

スズラン

図像崇敬

図像破壊

スミレ

スワン

聖歌隊席

聖油びん(アンプラエ)

聖会話

聖家族

正義の鏡

世紀末美術

聖職者としてのマリア

聖人

聖体顕示台

聖墓

聖母の騎士、 雑誌名

聖なる山の

生命の樹

聖霊

聖霊降臨

説教台

石棺

セミラミス

セレニト マリアガラス

宣教芸術

善死術

全聖人像

洗礼者ヨハネ  →両ヨハネ

象牙: 材質としての

象牙の塔

族長

ソロモンの玉座

図像学用語 カ~コ

貝殻

凱旋門

懐妊 ⇒ 希望

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタコンベ

カタツムリ

片面印刷物

カタリーナ

楽器

割礼

家庭祭壇

家庭マリア像

家庭銘文

カーテン

カナ

悲しみの人

悲しみのマリア

ガブリエル

貨幣

ガラクトトロフーサ

ガラス、ローマの、金箔入りの(黄金の)

ガラス、ローマの、金箔入りの(黄金の)

カリスタ 鳥

カルメル会の

カロリング

カワセミ

管財人

観音

冠 corona

冠 krone

樹  → オウトウ、杉ふたつ、、、、

傷ついた像

気絶

貴石

奇蹟の

奇蹟物語

切手

ギデオンの羊毛

祈念像

キベレ

希望 → 懐妊

救難聖人

共観表挿絵

教父

キリオティッサ

キリスト倒れる

禁書目録

金門の出会い

グアダルーペ

グリコ

クリッペ

クルミ

黒い

契約の櫃

結婚

月桂樹

ケルビム

弦楽器 → 楽器

謙譲

建築コピー

航海 → 善き航海の

皇后の衣装

行進用棒、杖

降誕

鉱物

ゴシック

腰布

国家

古典主義

子供マリア

コルベ、マキシマム

コンキスタドーラ

コンコルダンティア

コンスタンティノープル

婚約

図像学用語 ア~オ

索引:図像学的用語               

アーマ・クリスティ(受難具)

アーマ・クリスティ(受難具)

アーマ・クリスティ(受難具)

アーモンド

アーロンの杖

アイ・コンタクト → 視線の交流

アウグストゥスとシビル(巫女)

青騎士

赤褐色の聖母

アカシストス

あかり → 光

暁星 → ぎょうせい

アクシオン

アケイロポイエートス

アッコモデーション

足指

アシュタルテ

アダムとエヴァ

アトリビュート(持物)

アトリビュート(持物)

アトリビュート(持物)

アトリビュート(持物)

アトリビュート(持物)

アテナ・ミネルヴァ

後からかぶせた衣装 → 衣装

アトスの技法書

アナト

アビガル

アプシス

アプシス

アフロディティ

アミュレット

アルテミス・ディアナ

アルブレヒト祭壇画

アンティペンディアム

アンナ

アンナの懐妊

アンプラエ

イエズス会

イエスと(聖女)の神秘的結婚(婚約)

イエスとマリアの別れ

イギリス国教会

イコノクラスム

イコノグラフィー

イコノスタシス

イコノロジー

イコン

イザヤ

石棺 → せっかん(石棺)

イシス

イシュタル

衣装 1

衣装 2

イチゴ

イチジク

一族

一角獣

井戸

糸巻き、スピン

イマーキュラータ

イマゴ・クリペアタ

印章  シーゲル

印象派

隕石

ヴィーナスの火

上衣、チュニカ

ヴェッター鐘

ヴォーティブ

器 容器

腕輪

海の星

ウミリタ

美しのマリア

永遠の救い

エヴァ

エヴァとマリア

エウカリスティア

エクス・ヴォト

エクレシアとシナゴーグ

エクレシアとマリア

エジプト →オリエンタリズム

エジプト行き

エステル

エゼキエルの門

エッケ・ホモ

エッサイの樹

エピタフ

エフェソの聖家族の家

エメレンティーナ

エリザベツ

エルサレム、天の

エレウーサ

エレミヤ

エレンド

エンカウスティック(蝋付け技法)

エンコルピオン

エンブレム

王位、マリアの

黄金の家

黄金のガラス

黄金の門

王座に座すマリア

牡牛

オウトウの木の

オウム

オーク アイヒ

オダマキ

オットー

オランス、マリア

オランス、マリア

オリエンタリズム

オリーブ

織物芸術

オレンジ

音楽  → 楽器、 アヴェ・マリア(マリアを称える最初の音楽)、 天使奏楽

恩寵の座 1

恩寵の座 2

恩寵の仲介

女羊飼い → 善き女羊飼い

授乳する女性像  

授乳する女性像   

 エクレシアとマリアの混同は幼児一人を授乳する図像でも起る。メッツからの石彫、12世紀、個人蔵、の授乳する女性像(Schiller4/1216)をシラーはエクレシアと解釈しているが、Vlobergはマリアとしている。シラーは衣装(長く伸びた髪等)がエクレシアであり、この時期の聖母子像のイエスは裸ではない、もとの図像ではシナゴーグと対比されていたと推定される、等を根拠に挙げている。二人以上に授乳する場合はマリアではないとほぼ確証できる。マリアがニ人以上に授乳するのは煉獄の魂に授乳するマリアくらいしかない。二人の幼児に授乳するエクレシア像(G.ピサーノ、130211年、ピサ大聖堂説教壇、Schiller4/1213 )や二人の成人すなわちモーセとパウロに授乳するエクレシア像(Schiller4/1211)がありこれらは聖母子像と峻別できる。

聖霊降臨像

聖霊降臨像

このような擬人像でなく現実の人々の集合で「教会」を示すのが「聖霊降臨」像である。原始教会の誕生を示すこの図像はオットー朝から12世紀中頃まではマリアを含まない場合が殆どであった。マリアを含む場合、中央で使徒たちの中心として、または使徒の頭ペテロと同列を占める。ここにはマリア=教会の擬人像(エクレシア)とする傾向の限界が示されていると考えうる。カトリック教会では女性の聖職者を認めていない。擬人像、教会全体の寓意にとどまる限りマリア=教会の図像表現も広まってきたが、マリアを具体的に一人の女聖職者として示すような図像はカトリック教会により禁止された(別記)。「聖霊降臨」でマリアの存在を強調しすぎることは教会の中心を女性が占めることを暗示して不適切であるといった抑制が働いたと考えられる。

花嫁と花婿 

花嫁と花婿  

 111112のような、男性像(キリスト)と並び座す女性像は教会かマリアか、あるいは両方を兼ねると解釈され、いずれにせよ雅歌の花嫁から派正した図像である。

典礼等でマリアをキリストの花嫁と解釈することから発展してエクレシアをキリストの花嫁と解釈することがあった(ガリアなどの7世紀のミサの祈り、Beissel 17ページ.)。そのためエクレシアとマリアの姿は衣装やアトリビュートが類似しており芸術家がどちらを描こうとしたのか不明のことが多い(たとえばエクレシア小像、ストラスブール美術館)(文献(4)。マリアともエクレシアともされる図像の初期の作例としてペーターハウゼン(ライヘナウ)の典礼書本,98085年、ハイデルベルク大学図書館、がある(111)。諸文献の説を紹介する。「紀元千年」、図112はマリアまたはエクレシアとする。Beissel 図63 は聖母マリアとしLMKドイツの項でも聖母マリアとする。一方、HerderEcclesiaの項ではこの写本のエクレシアは女王としてキリストの傍ら(向かいのページ)の王座に座すと記述し、Schiller 4/1 図247,248でも対向ページにキリスト(尊厳の)像があること(女性像はfol 40v,キリスト像はfol.41r)も記した上でエクレシア像と結論している。

エクレシアは中世盛期にはキリストの右側に座して描かれる(マグデブルク大聖堂聖墳墓チャペル、彫刻、1245年、Schiller 4/1 図251)。松本は1987年秋、この大聖堂にフンボルト大学芸術学科のフェンゼン博士によって案内され説明を受けたことを記憶している。

プリヤーフェニンク、天井フレスコ、113050年、Schiller4/1 図249は花嫁であることを示す銘文があり、冠をかぶって王座に座す姿は先述のペーターハウゼンの女性像と類似している。以後エクレシアがキリストから戴冠する場面も描かれる(ホルタス・デリキアールム)。

12世紀は雅歌の注釈がマリアとの関連を重視し始める。ベネディクト修道会士ルペルトは雅歌全てをマリアと関連づけて解釈した、おそらく最初の人物である。ほぼ同時期、オータンのホノリウスも雅歌とマリアを扱った著作を著した。

中世の聖書注釈者たちは花嫁と花婿という対を王権に関係するアトリビュートで特徽づけようとしてきた。王や女王のようなアトリビュートを持つ、花嫁、花婿の対の最古の作例が先述のペーターハウゼンの図像である。先述のマグデブルクの像はシュタウフェン朝(当時の支配層)の王と王妃の図像でもある。

「マリアの戴冠」はキリストの隣で王座に座すマリアという図像から変化して誕生した。エクレシアがキリストと並び座す図像(先述)との区別は時に不可能で両方の意味と解せる場合もある。

 ローマ、サンタ・マリア・イン・トラステヴェーレのアプシスのモザイク(1140年頃)(112)は雅歌の章句が銘文にあり雅歌の花嫁である。Herder、マリア戴冠の項はこれをマリアとし、シラーはエクレシアとする。当時、12世紀にマリア崇敬や雅歌のマリア諭的解釈が高まったことはマリアとすることを優勢とするかもしれない。しかし教理が図像に反映するまでには時間のずれがあることも考慮するとまだエクレシアとしての解釈が強かったともみなせる。

なおブランシュヴァイヒの天井画(122550年頃)、文献(2)図253、は花婿(キリスト)と並ぶ花嫁を描いているがこの女は12の星の冠、足元の月、背後の光輪といった黙示録の女のモティーフも備えている。

黙示録の女

黙示録の女 

 「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた。女はみごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのために叫んでいた」(ヨハネの黙示録1212節)。この黙示録の女は救世主キリストの誕生を示すものとしてマリアと同一視された。また悪と善の戦いの寓意から女は「教会」を意味する擬人像ともされた。黙示録の女をマリア像ともみなせるのは図像が描かれたコンテクストが黙示録の図解だけでなく「マリア」の側面を強調する場合などである。その初期作例は120625年のシェイエルンの朝課書(51)で十字架刑、キリスト昇天、マリアの賛美の図像と共に配置されておりマリアというテーマの方が明確である。女が抱く子供の頭にある十字架型ニンブスはイエスであることも示している。黙示録女もマリアに似て赤い下衣や青いマントを着ることも多い(アンジュの黙示録など)。

 

 黙示録の女で教会とも解釈される図像もある。ビブル・モラリセー、13世紀、パリ、国立図書館、は黙示録12章に対して12の図像があり黙示録の女にエクレシアを示す銘文(聖杯)がある。黙示録の女とエクレシア両方の特徴を兼ね備えたマリア像も登場する。1400年頃のカルロ・ダ・カメリノスの「王座の聖母子」(クリーブランド美術館)は12の星からなる冠をつけている。その星には人物の胸像が描かれている。12の星は黙示録の女のモティーフであり、胸像が12使徒であることはこの図像が教会であることも示している。

 

エクレシア(教会の擬人像) 

エクレシア(教会の擬人像)   

 エクレシアはキリスト教会の擬人像としてシナゴーク(ユダヤ教会)との対比も描かれた図像である(注3)。バウイト(エジプト)の壁画(6・7世紀)の「エクレシア」像(文献(2)、図98)は聖杯を持っている。聖杯と勝利の旗はエクレシアの最も重要なアトリビュートとなる。また十字架刑図像の左側にはエクレシアとマリアが両方現れる(メッツの象牙板、フィレンツェ、900年頃、文献(2)、図100)。左側を生命、救済の側とし、右側を死やシナゴーク(ユダヤ教会)の側とするのは先述の「生命の木」と同様である。

エクレシアともマリアとも解釈できる女性像は110の他にタウのヨハンネスのミニアチュール(ブレスラウ州立美術館、1426年、Guldan 図156 )にも描かれている。女の差し出す果実状のものはホスティア(聖餐式におけるパン)と見ることができる。すなわちもう一方の手に十字架刑のキリストを持っているのでこの手はキリストの神秘的体であるホスティアを持っていると解釈できる。信者に聖餐を施すことは聖職者の行為であるからこの女は教会の擬人像とも解釈できることになる。

エヴァ

13. マリアと対比、同一視された女性像

通常の聖母子像は救済史(後述)の一部である受肉(神が人となったこと)を主に描く。その他に救済史においてマリアの占める位置を示す図像がある。そこでのマリアは聖書に登場する人物や神学的な擬人像と対比、同一視される。またこうした意図は無いがマリア像と似た図像もある。以下エヴァ、雅歌の花嫁、黙示録の女、エクレシア(教会の擬人像)、カリタス(慈愛の擬人像)、授乳する女性像などを考察しマリア像とは、マリアでない像とは何か、を探ろうとした(両方の像と解釈できることもある)。

 

 エヴァ  

 エヴァは創世紀冒頭に登場するアダムの妻である。二人の原罪は人類に堕落をもたらしたがそれを十字架におけるキリストの死がそれを救済することが救済史、キリスト教の核心である。キリストをアダムと対比させること(ロマ書5章、エフェソ52233節のパウロの記述に基づく)に倣いマリアはエヴァと対比された。ユスティノス(165年頃没)やイレナイオス(292頃没)の記述に「エヴァは人類に原罪と死をもたらしたがマリアは救済と生命をもたらした」等の対比がある(注1)。しかしエヴァとマリアの対比を描く図像の登場はかなり遅い。ドイツ、ヒルデスハイムの司教ベルンヴァルトの青銅扉(1015年)(Guldan、図3)は「堕落」(創世記)と「救済」を8対の画面で描きエヴァの生涯とマリアの生涯の対比ともなっている。109の上から三段目、左には知識の木の両側にアダムとエヴァを描き右には十字架刑を描く。十字架刑の右端にはマリアがたたずんでおり救済におけるマリアの存在を示している。ベルンヴァルトの福音書、1015年頃、ヒルデスハイム、の冒頭(Guldan、図1)にもエヴァとマリアの対比が示されている。聖母子像の上方左右に小さく2人の胸像が描かれている。エヴァの像は閉じた門の上、マリアの像は開いた門の上にあり「エヴァが閉じた天国の門がマリアにより開かれる」と銘文にある。救済を意味する天国の門は救済を意味する。マリアは第二のエヴァと称されリンゴ(エヴァがアダムに渡した誘惑の果実とされる)は聖母子像のアトリビュートとなった。またエヴァを誘惑した蛇も聖母子像に含まれるようになる。フランスのアミアン大聖堂の通称「黄金の聖母子」(1250年直前)(113)は教会のトリュモー(教会の入口中央の柱)でマリア=教会の入口=天国へ至る門という意味も示す。その足座にはエヴァの歴史(生涯)が描かれておりマリアは蛇を踏んでいる。トリーアのリープフラウエン(聖母教会)の作(123360年)ではマリアの王座の前に蛇がとぐろを巻いておりマリアはリンゴを持っている。このようにマリアの足元の蛇はマリアが堕落を取り消したことを示す。

エヴァとマリアは「生命の木」図でも対比される。110Guldan、口絵)の右側でエヴァは蛇から受け取ったリンゴ(死をもたらす)を差し出す。その上の茂みには骸骨が描かれている。一方、マリアが差し出す果実(状のもの)は信者に生命をもたらす。その上の茂みには十字架(生命、救済をもたらす意味)が描かれている。果実状のものを何と解釈するかによりこのマリアはこれから述べるエクレシア(教会の擬人像)であるとも解釈できる。

5)民間信心にある名称

5)民間信心にある名称

植物:木や花

 樫の木、木の上、茂みなどの名称がある。

176 オウトウの木の聖母

鉱物、岩、地形

 48、泉

自然現象としての泉。源泉の意味では →25.

緑の谷(イタリア、シチリア)、山などがある。149のカペは岬の意味。希望峰は→アフリカ最南端の岬。

177 聖なる山のマリア インド

建造物、建築構造

下記の他に礼拝堂の、石の門、テーブルなどがある。

49、地下の、地下墓所の

 フランス、シャルトルなど

50、柱の

 柱の形態を模した図像がある。屋外に柱型のマリア像が置かれた。スペインのサラゴサにある崇敬像は柱のマリアが出現したとの伝承にもとづく。

178 「柱の聖母」

51、監視者

フランス、マルセイユの尖塔突端のマリア像がこの名。

52、文字の

 イタリア、メッシナ

色に因む名称

 黒以外は白い聖母(ブランカ、 スペイン語)、黄金の聖母子(エッセンやアミアン)、雪の聖母(色名ではないが白を連想)、赤褐色などがある

179 赤褐色の聖母 ベルギー

180 黒い聖母

救いに関する名称 続き

34、守護(のマント)

 マントを拡げ,その庇護の下に様々な人を守護する図像。ロザリオのマリア像との融合型もある。

169 「守護のマントとロザリオのマリアの融合型」

35、悲しみ

受難における協力という意味でここに分類できる。受難の場面から派生した図像でピエタ像(イエスの遺体を抱くマリア像),マーテル・ドロロサ(マリア単独で悲しむ姿),7つの悲しみのマリア(胸に矢が刺さる図像)に大別される。

170 「悲しみの聖母」 アフリカ セウタ

36、ロザリオ

 守護のマントのマリアと融合した図像もある。ロレトの連祷内の名称にある。1567年のトルコ海軍からの解放,戦勝を記念する。→15、解放、

171 「ロザリオの聖母」 ポルトガル ファティマ

 37、平和の女王

 ロレトの連祷に追加された名称。「喜ばしき平和」もある。

172 「平和の女王」 パリ ピクプス教会

 38、善き扶助  

 ローマ近くのゲナザロ巡礼教会にある崇敬像が原型とされる。

 39、悩める者の慰め

 ルクセンブルクの守護聖人。またドイツのケヴェラーの崇敬像が有名。幅広の衣服、御子がマリアの腕の上に立つのが特徴。

173 「悩める者の慰め」

 40、神の女羊飼い

 マリアを女羊飼いとして描く。カプチノ会が崇敬を推進。

174 「神の女羊飼い」

 41、神の摂理

カプチノ会が崇敬を推進。

 42、慰め

 イタリア、トリノの崇敬像が有名。

 43、病む者、不具者の救い(慰め)

 「悩める者の慰め」とほぼ同じ意味。民間医療におけるマリアへの信頼を示す。

 44、見捨てられた者の(デザンパラドス)

 1400年頃、スペインのヴァレンシアにこの名の信心会ができ、デザンパラドスの聖母は同地の守護聖人とされた。

175 「デザンパラドスの聖母」

 45.、孤児の

 46、愛の

 47、慈悲の

 キューバの守護聖人。

救いの源泉、泉に関する名称

救いの源泉,泉に類する名称

 「救い」に関連してマリアは恩寵や命などの源泉,泉と称される。現実の泉に因む,泉の近くで発見されたマリア像などは→48、泉。

25、救いを与える泉,命の泉

26、光の、光の源泉

 光は救い,恩寵の象徴としての意味である。また「太陽の光輪」は→9、黙示録の女のマリア。ろうそくを持った図像もある。

163 「光の聖母」 ポルトガル ろうそくを持つ  

 

27、盲人の光

光は輝き導くという意味。

164 「盲人の光」 ベルギー  

28、信者の避難所(キリスト者の避難所)

29、罪人の避難所

信者,キリスト者も神の前では「罪人」であるという理由から「罪人の避難所」は反対語ではなく,むしろ類似の意味である。

165 「罪人の避難所」 スペイン 

 とりなしてくれるマリア、我等のために祈るマリア

 人の死に際し,また煉獄の魂に対して祈るマリアに関する名称がある。→5、好戦的なマリアとも類似する。

30、代祷

 煉獄の魂のためにとりなしを祈るマリア像。足元の煉獄の魂のために祈ったり,手をのばすマリア崇敬像がある。

166 「代祷の聖母」 ベルギー  

 

31、カルメル会の

32、スカプラリオの

カルメル会の発祥はパレスティナのカルメル山。同修道会はスカプラリオ(肩掛けの一種)の信心を推進したが,煉獄の魂に救いの手をのばすマリアという考えを含んでいる。

167 「カルメル会の聖母」 ポルトガル

168 「スカプラリオの聖母」イタリア

 33、永遠の救い (救いに類する他の名称は→6、14

この名称のイコンから派生した絵画がローマから普及、レデンプリスト会が崇敬を推進。中米のハイチの守護聖人。

守護に関する名称

マリアの守護

 マリアは聖人のなかでも最高位であるからすべての人の守護聖人と言えるが特定の分野の守護という側面は少ない。それでも一番ふさわしいのは海、航海などに関する守護聖人だろう。マリアという名称の語源に海に関係する解釈があった。また中世の賛歌Ave Maris Stella はマリアを海で導く星にたとえている。海の守護聖人としての崇敬像は港や沿岸部に多い。

22、船乗りの港(避難所)

漁師の避難所もこれに類する名称である。なお漁師はフランス語では「罪人」と似ていて紛らわしい。

23、善き航海の

船の模型を持っている崇敬像。

160 「善き航海の聖母」 ポルトガル 船の模型を持つ  

161 「海の星」 フィリピン

24、空の守護

空の運行は20世紀の新たな活動領域である。ロレトの聖母が航空者の守護聖人とされるのは聖家族のナザレにおける生家が天使により運ばれたとの伝承による。

162 「ロレトの聖母」  

なお海、空と違い→49、地下はこうした守護領域ではない(煉獄を地下と解釈すれば→30、代祷)。陸における守護は特に見当たらない。

希望、喜びなどの名称

4)マリアの「救済」への協力を讃える名称

14、救い (ただし→33、永遠の救い)

15、解放,救出

 トリニタリアン(三位一体修道会)が崇敬を推進。善き救いの、も同義である。根棒を持ったマリアを描いており,好戦的,力を示す図像でもある(→6、も参照)。

154 「救いの聖母」

155 「勝利の聖母」

156 「救いの聖母」

16、キリスト者の救い

スペインに根棒を持つマリアの作例がある  

祝日 5月24日。ロレトの連祷の名称にある。

17、恩寵

 フランス カンブライに作例がある。

18、神の恩寵

ロレトの連祷に名称がある。

19、希望(善き)

20、妊娠している

 希望には「妊娠している」の意味もあり,妊娠しているマリア像を示す。安産の守護聖人という側面もある。(誕生後の)御子を抱いている図像もある。

157 「希望の聖母」 ポルトガル  .

 21、喜び

  「悲しみのマリア」の反対概念としての「喜びのマリア」には生涯の図解である「マリア7つの喜び」連作がある。ただしここでの単独像はそれとは無関係でユーモラスな風情の作例が多い。

158 「喜びの聖母」 ベルギー 

159 「喜びの聖母」 ポルトガル(弦楽器を演奏)

女王を含む名称

3)「栄光のうちにあるマリア」を讃える名称,女王に類する名称

9、黙示録の女のマリア

 この変種に翼のあるマリア像がある。

153 「黙示録の聖母」 メキシコ  グアダルーペ 

 南米を代表する崇敬像。

女王としてのマリア 

10、全聖人の女王

 祝日 5月31日。「マリア戴冠」で多数の聖人に囲まれている「全聖人の祝日」(万聖節)の図像などもこの概念を表現している。ロレトの連祷内の女王としての名称にある。

 11、天使の女王

 祝日 8月2日。「天使のマリア」はフランチェスコ会の発祥の地であるアッシジのポルティウンクラ礼拝堂に因む祝日である。ロレトの連祷内の女王としての名称にある。

 12、使徒たちの女王

 13、殉教者の女王

誰誰の女王,のもとに分類したが,殉教者の、という意味から受難におけるマリアを描く「悲しみのマリア」像への名称のこともある。

名称の分類 1

名称の分類  5)で民間信心にある名称を述べた。

1)    処女にして母なるマリア,に類する名称、マリアと「三位一体」各々(父なる神,イエス・キリスト,聖霊)との関係を示す名称, 

1、無原罪の

2、無原罪の御心(のマリア),聖なる御心(のマリア)

1942年,教皇は世界をマリアの御心に捧げた。マリアの心臓を強調して描く場合がある((147)

146 「マリアの聖なる御心」 フランス イソーダン

147 「マリアの聖なる御心」 ポルトガル

2)マリアの徳(謙譲など)を讃える名称

 謙譲などの徳を示す名称。なお「謙譲のマリア」という名称は絵画に多く、立像の崇敬像では未見。

3、奇蹟(の)

 崇敬像の起源は何らかの驚異を伴うことが多く、たとえば涙や血を流した,あるいはまばたきしたり(視線が移動),図像が動いたなどの伝説を持つ図像はこの名称で呼ばれることがある。

148 「血を流す聖母」

149 「カペ・デラ・マドレーヌの聖母」 カナダ

視線の移動が目撃されたという。

4、上智の座 

「御子(神の上智)の座す所」という意味だけでなく,マリア自身を上智とする名称もある。王座のマリア像はこの名称で総称されてきた。

150 「トングルの聖母」 中国 座像

 敵に対する力,闘争などを示す名称

 城壁,山,壁,城など。旧約聖書から採られた象徴ではダビデの塔がある。ただし物理的な意味では→人工建造物,とも解せる。

5、勝利の

レパントにおける対トルコ勝利,ウィーンでのトルコ撃退などがマリアの力に帰せられ,祝日の起源となる。

151 「勝利のマリア」パリ 勝利の聖母教会(Freitagp.369

 ただし,勝利のマリアは蛇を踏む,→無原罪のマリア像でもある。

 6、解放の Vloberg NM p.88

 戦いにおける解放,力を示す。→15、解放,救い。

 7、楯

 戦場においてマリアに加護を願ったことに由来する名称。 聖母子像の描かれた旗を「キリスト者の旗」として崇敬する図像がある。

 8、メルセデ会の聖母、 牢獄のマリア

 慈愛の意味ではなく固有名詞でメルセデ修道会を意味する。 1218年,スペインにおけるイスラム教徒からのキリスト教徒の解放に因む。ピエール・ノラスコが創始した「メルセデ修道会」の守護聖人として解放の意味で「鎖の上(鎖を解く)マリア像である。

152 「メルセデ会の聖母」 マリアは「→守護のマント」を拡げており,足元にある鎖は破られている。

レデンプトリスト会は→33、永遠の救いの聖母 像を広めた。

形態の分類

形態の分類

 マリア崇敬像の形態は以下のように大別される(HMK  p.847883.マリア崇敬像の形態学)。なおHMKはエデッサの図像(アケイロポイエートスの一種、マリアの顔のみを描く)も主要タイプとして挙げているが,西欧での普及度はかなり少なく,疑問と考える。

 西欧のマリア崇敬像の形態の源泉はビザンティンのマリア像である。ホディギトリア型(御子を左に抱く,右に抱くのもその変形)とエレウーサ型(より親密,御子と頬をよせあう)そして「王座のマリア」という正面向きの図像タイプである。崇敬像の形態はゴシック時代頃から立像が多くなり,「王座のマリア」は少なくなるが,祭壇画としては依然主流である。「王座のマリア」の形態はエレウーサ型で坐っている,ホディギトリア型で坐っている,御子が正面向きで坐っている,の3種に大別できる。立像もマリアと御子の顔の位置関係でエレウーサ型,ホディギトリア型,正面に抱く等がある。

 「無原罪のマリア」はマリアの単独像で胸の前で手を合わせる。る。この先駆は「麦穂のマリア」像である。「無原罪のマリア」像はルルドのマリア,ファティマのマリアのように,近世の有名なマリア出現地の名称で呼ばれる場合が多い。また1830年,キャサリン・ラブレにマリアが出現,それを表現する「奇蹟のメダル」像としての無原罪のマリアは手を両側に開いている点が異なる(149「カペ・デ・ラ・マドレーヌの聖母」,カナダ、もこの名称の図像)。他に「美しのマリア」「悲しみのマリア」等がある。

図像への戴冠など

15. マリア崇敬像:名称,形態の分類

15. マリア崇敬像:名称,形態の分類

 

 世界各地で崇敬されるマリア像,聖母子像につけられた様々な名称は図像の成立過程や崇敬史を伝える。マリアの神学的尊称を処女として,母として,花嫁として,女王として,とりなす者として等で分類した文献にならいマリア崇敬像の名称を分類する。また形態の分類はそれとは独立して概説し将来の統合を目指したい。彫像を主対象とした。なお16世紀から、という限定は対抗宗教改革がマリア巡礼地の再興に関わったことなどによる。

マリアという女性名

マリア崇敬像の多くは特定の名称を持たず単に聖母子像,マリア像と呼ばれている(145)。女性名としての「ミリアム」「マリア」はヘブライ語,ギリシア語としてその語源,語義に関する説は60以上ある。苦い海,海の星,海の没薬といった「海」に関する語義が幾つかある。

神学的尊称

マリアの神学的尊称は4つに大別できる。1)処女にして母なるマリア,の類・マリアと「三位一体」各々(父なる神,イエス=キリスト,聖霊)との関係を示す類,2)マリアの徳(謙譲など)を讃える類,3)「栄光のうちにあるマリア」を讃える類,女王に類する名称,4)マリアの「救済」への協力を讃える類である。

1)は「イエス・キリストの母」,「処女にして母なるマリア」の他,処女降誕のシンボルである契約の櫃,山,アーロンの杖などである。神との関係を示す名称では「花嫁」に類する名称(マリアは聖霊の花嫁,キリストの花嫁等と呼ばれる)など。2)は「主のはしため」(受胎告知におけるマリアの言葉)が示す謙譲などのマリアの徳、やマリアの徳を旧約の人物,動植物などにより示す名称(レバノン杉,シャロンのユリ等)である。3)は「女王」「女主人」に類する名称で「マドンナ」(イタリア語)はこうした尊厳を含んだ意味から,より親しみをこめた意味へと変遷した用語である(MadonnaMea Donna :私の女主人から派生)。4)はキリストの働きによる人類の救済において,マリアがどんな役割をどの程度果たしたかという神学に関わる。この領域ではマリアを「唯一のあがない主たる」キリストと並ぶか,超えるとする行き過ぎも存在した。マリアが「恩寵の仲介者」であり信者の祈りをキリストや神にとりなし,仲介するという「とりなし」に関する名称は多様である。「誰誰の避難所,守護」に類する名称や「救い」「永遠の救い」「エヴァの過ちを正す者」などがある。「教会」との関係では教会の母,信者の母,や全人類の母に至る名称があり、これに対応する図像は守護のマントのマリアである。

動物、生物以外

動物

鳩(VlobergⅡ、1118)(Trens 545551) 鳩は聖霊の象徴として「受胎告知」等にも描かれる。聖母子像に描かれる場合、神学的意味が薄れ母子が戯れる対象となっている場合が多い(142)。

 一角獣 受胎告知の象徴として、「処女マリアの膝にいる一角獣」という図像がある。一角獣という架空の動物は処女の膝でしか、おとなしくならないと考えられマリアの膝に捕らえた一角獣はイエスを象徴とするとされた。

生物以外

本、巻物(聖書の象徴)(Trens 566572

 本(143)や巻物(144)は預言の成就や神の叡智を象徴する持物で初期キリスト教時代からイエスやマリアの手にあったが、まだ本を巡る動作は無かった。しかし中世には本が開かれ、読まれ、または二人で覗きこむといった図像が登場してくる(143)。こうした人間性が強まった「親愛の聖母子」像は幼児に読み書きを教えている、微笑ましい場面として解釈する方がふさわしい。「イエスに書くことを教えるマリア」という図像名が採用される所以である。またインク壷(Trens 572578)や羽ペン等の筆記具は真理を記す事を象徴する(詩篇44(共同訳45)編2節、「わたしの舌はすみやかに物書く人の筆として」)。

144で御子イエスが左手にインク壷を持ち右手はペンで巻物に書きつけている。

143のイエスは書物と筆を持ちマリアと視線を合わせている。イエスが神の御子としてマリアに何かを教えているようでもあり逆に人間の幼児としてマリアに何かを教わっているようでもあり微笑むべき同義性を見事に表現している。また125のマリアは乳房を差し出しているが、御子イエスは膝の本に見入っているように描かれている。

命の泉(Trens 580586

 また聖書の注釈書は雅歌4章12節等に基づき、泉の姿をマリアの象徴と解してきた。マリア=命の泉という象徴を示すのにマリアが泉を持つ図像がある。114のマリアが持つ泉は三重の泉でコップのような形状である。なお現実の泉は古代の異教世界で聖所とされた場所が多かった。

井戸

 泉に類似する名称で雅歌1415節に登場する。命の泉も井戸も「無原罪の御宿りのマリア」の先駆的図像に頻出する。「マリアは命の水の井戸である」ことを表現する絵画や彫刻もある。

柱(Trens 586597

 スペインでは「柱の聖母」という伝説、崇敬像が盛んである。これに関連して柱の上に立つ聖母子像(130)や「柱」を持つ聖母子像(117)がある。

楽器(→耳)

 弦楽器を持つ(121)等があるが「喜び」の典拠は未見である。

植物

植物 (花と果物 Vloberg,1826

花のなかで特にユリとバラが純潔、高貴の象徴としてマリアと関連づけられてきた。また、錫杖の先端の花、から花だけの表現へと推移した経緯は前述の通りである。枝の先端の花としての写実的な表現(139)では太い枝の頂きにバラの花がある。(バラはロザリオ(数珠状)の様式化でもある。

ユリ(Trens 555562

 雅歌にも「谷間のユリ」とあり、古くから処女性、純潔の象徴であった。聖母子像においては様式化され、紋章のような表現(Trens324)や写実に近い表現(Trens327)、140のようにおもちゃのガラガラに似たユリなどがある。

果実

リンゴ(Trens 562564)や類似(球形)の果物

 イエスは「十字架のついた地球儀(ReichesapfelRheinlandⅡ図119他)を持つ場合が多かった。その名称にも「リンゴ」が含まれているように、形態はともに球で類似している。マリアの持つリンゴ(141)はこの地球儀と関連した王権の意味でなく人類の母(エバ)のリンゴとの関連で解される。すなわち堕落をもたらしたエバに対比されマリアは救世主イエスをもたらした、新たな、第二のエバとされる。

ブドウの実や木(Trens 247254

 ブドウはイエスの受難の象徴であるがマリアの処女性の象徴ともされる。Trensはブドウを持つ聖母子像(142)を「悲しみのマリア」に分類して親愛の聖母子と峻別しているが、他の部位では「親愛の聖母子」と異なる特徴はほとんど無いと考えられる。

ザクロの実(Trens 564

 古代から豊穣の象徴、また「希望」という徳を示す。ただし受難との関連をTrensでは記していない。            

洋ナシ(Trens 566

 希望という徳を示すが中世のフォークロア(民間信仰)では豊穣も意味した。

松ぼっくりPiaTrens 566

 形態がブドウの房に似ることからブドウの房の象徴の誤用と考えられる。(「Piaの聖母」と呼ばれる崇敬像は松ぼっくりではなくブドウの房を持っている)。

 これら以外の花や果実は装飾に過ぎなかったり図像学や象徴で特に意義を持たない場合が多い(Trens 566)。たとえばレモン(Trens 564)は潔白、堕落しないことを象徴し無原罪のマリア像に多く描かれる。(Trens332

植物

植物 (花と果物 Vloberg,1826

花のなかで特にユリとバラが純潔、高貴の象徴としてマリアと関連づけられてきた。また、錫杖の先端の花、から花だけの表現へと推移した経緯は前述の通りである。枝の先端の花としての写実的な表現(139)では太い枝の頂きにバラの花がある。(バラはロザリオ(数珠状)の様式化でもある。

ユリ(Trens 555562

 雅歌にも「谷間のユリ」とあり、古くから処女性、純潔の象徴であった。聖母子像においては様式化され、紋章のような表現(Trens324)や写実に近い表現(Trens327)、140のようにおもちゃのガラガラに似たユリなどがある。

果実

リンゴ(Trens 562564)や類似(球形)の果物

 イエスは「十字架のついた地球儀(ReichesapfelRheinlandⅡ図119他)を持つ場合が多かった。その名称にも「リンゴ」が含まれているように、形態はともに球で類似している。マリアの持つリンゴ(141)はこの地球儀と関連した王権の意味でなく人類の母(エバ)のリンゴとの関連で解される。すなわち堕落をもたらしたエバに対比されマリアは救世主イエスをもたらした、新たな、第二のエバとされる。

ブドウの実や木(Trens 247254

 ブドウはイエスの受難の象徴であるがマリアの処女性の象徴ともされる。Trensはブドウを持つ聖母子像(142)を「悲しみのマリア」に分類して親愛の聖母子と峻別しているが、他の部位では「親愛の聖母子」と異なる特徴はほとんど無いと考えられる。

ザクロの実(Trens 564

 古代から豊穣の象徴、また「希望」という徳を示す。ただし受難との関連をTrensでは記していない。            

洋ナシ(Trens 566

 希望という徳を示すが中世のフォークロア(民間信仰)では豊穣も意味した。

松ぼっくりPiaTrens 566

 形態がブドウの房に似ることからブドウの房の象徴の誤用と考えられる。(「Piaの聖母」と呼ばれる崇敬像は松ぼっくりではなくブドウの房を持っている)。

 これら以外の花や果実は装飾に過ぎなかったり図像学や象徴で特に意義を持たない場合が多い(Trens 566)。たとえばレモン(Trens 564)は潔白、堕落しないことを象徴し無原罪のマリア像に多く描かれる。(Trens332

3)その他のモティーフ

3)その他のモティーフ

 その他のモティーフとして、マリアやイエスの持物を一括して記述した。二人のどちらが持つか、で全く意味が違ってくると解する必要はないからである。例外として本はイエスの持物であったが次第にマリアの持物ともなった。この場合、本や筆記具(鷲ペンやインク壷等)は神の御子の象徴としてよりも母子間の情愛の媒介として表現されだしたと解される(→本)。

錫杖Zepterと花の関連

 錫杖は古くから聖母子の持物であったが次第に杖や花のついた杖に変化し後には花だけとなる場合もある。中世の「情愛」の表現が強まる過程で錫杖が花つきの杖や花だけに変わる場合も多かった。錫杖の先端は装飾の花であることが多い(138)が短い錫杖は茎つきの花と類似してくる。そしてついには(茎の無い)花を持つ図像が登場すると考えられる(Beissel p.331)。茎、または杖(virga)はイザヤの預言(同書11章1節)に関連している。ここで、マリア(virgo)は花、果実、また王冠(先端部の飾り)と考えられ救世主をもたらす杖、幹と同一視される。このvirga-virgo(杖、枝一処女マリア)という象徴は「マリアは杖、御子イエスは花」とするマリアの母性を示す。トマス・アクィナスは聖書の6個所のvirgaに言及している(Trens551555)。

 このように錫杖と、花のついた杖の象徴する意味は同一であるから類似している場合は峻別する必要も無い。類型化されている花は錫杖の先端の飾り、写実的な場合は杖のついた花と見ればよいことになる(紋章の先端の花と同様と解釈すればよい)。

イエスの眠り他

眠る

 まどろむイエスを抱き、やさしく見つめるマリア像は多い(136Vloberg 3544 : 眠る幼児イエスを見守るマリア)。 眠るイエスに関しては死の予感という側面に触れる必要がある。

死(の暗示、予感)

 イエスの死すなわち受難の予感を示す聖母子像である。眠る御子が受難の象徴(特に十字架)を伴う場合は受難の予感を示していると解される。狭義の情愛の表現ではないがビザンティンの図像を記す際に情愛のグループに含めた。

性器

 イエスが裸体で描かれる場合、性器が明示されることもある(137)。他に生涯の場面では「イエスの割礼」において注目部位であり、頻出する。

足元

 マリアに抱かれている場合は足元に何かを踏む場合は少ない。ただし、「勝利のマリア、蛇を踏むマリア」像で、マリアとともに蛇を踏む場合がある。

御子イエスの仕草

2)イエス

 以下、マリアの場合と類似の変化については記述を省略した。

基本的姿勢

 マリアに抱かれるイエスの姿勢は立つ、坐るの他、眠っていたり、横抱きにされている場合もある。稀にマリアから離れて立ったり、歩いている図像(132「イエスの最初の歩み」→歩く)もある。

年齢

 乳飲み子か幼児として描かれる(他に嬰児イエスがマリアの→子宮内に描かれる場合がある)。

着衣の程度(露出度)

 神の子、御子としての尊厳、正面性を強調する像では着衣で描かれていた。後に、より人間らしく描かれ始めると、半裸体、裸体も多くなる(「14世紀前半以降、次第にイエスの上半身が裸になり始める」VlobergⅠ p.148)。肌の露出の過程はマリアの乳房が露出する過程との相関も想定される。

顔、目 (→眠り)。

 何かを持つ場合の持物は3)その他のモティーフ、で後述した。

 マリアの体の一部に触れる場合

  マリアの頭(冠)に触れる(123

 イエスがマリアに冠を被せていると解すれば「マリアの戴冠」の意味にもとれる。 Trensはこの仕草はゴシック時代が終わると完全に無くなると述べるが根拠は不明である。

 マリアの頬に触れる

 マリアの顎に触れる(Trens 604607

133のの親密さは触れるというより撫でる、愛撫すると言う方が近い。先述のジャンヌ・デヴローの聖母子もこの仕草である。

 マリアの肩口あたりに触れる(124

 マリアの胸に触れる(Trens 607) 御子が母マリアの胸をまさぐるかのような図像がある(134)。幼児の本能で母の胸に手をおいて安心している、または→授乳の前後とも解せる。他にマリアの服の胸のあたりをつかんでいる135のような図像もある。

 マリアの指に指輪をはめる (Vloberg p.141図、14世紀 木彫り、パリ、クリュニー美術館)

 「キリストの花嫁」としてのマリアを示す神秘的図像と解すより、情愛の聖母子の表現の一種と考えられる。「花嫁としてのマリア」との図像名は(より正確には)「雅歌の花嫁、花婿」の表現や「マリア戴冠における、マリアとキリストが並び座す表現」を指示するとすべきである。「キリストとの神秘的結婚」像はカタリーナ、アグネス等の聖女が、マリアに抱かれた幼児イエスから指輪をはめてもらう図像(絵画)を指す。

運動、しぐさ:歩く

 「御子の最初の1歩」と題するイエスの歩き始めを描く聖母子像(132)がある。なおマリアの幼年期の図像には「マリアの最初の7歩」がある。

五感の働き

その他、全般的事項

五感の働き

 五感の働きを示唆するしぐさは各々関連器官の動作として記述した(視覚→目、嗅覚→鼻、聴覚→耳、味覚→口、触覚→手)。

しぐさ、行為

 衛生、美容に関する行為でマリアが御子を世話する、「御子の身繕い(Toilette)」と題する図像(131)がある(VlobergⅡ p.2631)。

マリアとイエスの位置関係

 T.I.ではモティーフ間の関係そのものは別記せず個々のモティーフにおいて記述するようにしている。イエスはマリアの右側(すなわちマリアの左腕)に抱かれている場合が多い(Trens,611612)。

腕から足元まで

腕、手

 手に何かを持つ場合

 幼児イエスを抱く以外に腕、手に何かを持つ場合がある。持物(アトリビュート)の多くは神学的意味を持つが中世も末期となると母子の戯れの対象物と解すべき場合も増えてくる。世俗の母子と殆ど変わらなくなったことの表出でもある。マリアの持物についてはイエスの持物と併せ後述した。→3)その他のモティーフ

 両手でイエスを抱く場合

 片手でイエスを抱き(あるいは腕にのせ)別の手がイエスの体の一部に触れる場合

 122では御子の手首(を取って祝福させている)、133,134では御子の足の指に触れている。

皮膚、肌

 マリアの肌で露出する部分は少ないがその色は彫刻の素材や着色に依存することが多い。

乳房、胸

 「処女降誕」や「無原罪の御宿り」に関する神学はマリアには人間の女性の母性的機能(生殖に伴うとされる原罪や生みの苦しみ)が無いとするが授乳は例外である。ルカ福音書にもイエスを養ったマリアの乳房を讃える女という個所がある。授乳するマリア像は初期キリスト教美術に既に登場している(チャペル)。本論の対象とする時代にも「授乳のマリア」の単独像は多い。授乳するマリア像のヴァリエーションとして「本を読む(何かを書く)聖母子」との融合タイプがある(125のマリアは露出した胸を示すが、イエスは膝の本に見いっているかのようである)。

体内の器官

 筋肉、骨の存在を明確に描写する図像は無いと考える。

 血

 情愛にふさわしいか疑問であるが奇蹟的とされる崇敬像に「血を流すマリア」、「悲しみのマリア」(剣に刺されたマリアの心臓に血が描かれる)等がある。

 心臓

 「無原罪のマリア」の単独像でマリアの心臓を明示する作例がある。

 子宮

 腹部(胎内)に嬰児イエスが描かれたマリア像がある。「希望の聖母」「妊娠のマリア」等と呼ばれる崇敬像で、訪問のマリアの単独像または黙示録の女からの派生像と解される(Trens)。

腰、

あるいは体の優美な曲線(アンシュマン、コントラポスト)

 腰を中心とした優美な体の曲線(S字型)の表現では136は象牙という素材の曲線を人体の曲線に利用している。一方、137では体だけでなく、衣装の襞も複雑にうねっている。

背中

 聖母子の背後、背景に日輪(黙示録のマリアの持物)等が描かれることがある(128129)。また2つの聖母子像を背中合わせに(裏表に)した「二重のマリア」という図像がある(図17)。

 背中も含んだ優美な曲線 →腰。

背部 特にない。

下肢(膝を含む)

足、足元

 マリアの足元は長めの衣装の下に隠れている場合が多かった。イエスが半裸や裸体で描かれて皮膚の露出度が高まると、足元が覗くマリアも登場する(125)。

履物 詳細は略した(Trens 639640)。

足下、台座など

 マリアは足元に竜や蛇の頭、半月を踏む場合がある。こうした特徴は「黙示録」12章の「女」との関連で描かれている。130のように柱の上に立つ図像がある(→柱)。

目、化粧など

 目の風情、視線やまなざしは表情の印象を左右する。トリュモーではマリアと御子の視線の交流が主特徴であった(Vloberg p.149158、目の優しさ)。二人の視線は119のように同じ高さで向き合っている場合と、120のように高さも異なり殆ど見やっていない場合に大別できる。また136のマリアは眠るイエスを見つめている。

 マリアや御子への賛歌で「芳しい」といった形容は登場するが香り、匂いを示唆する図像表現は稀である。彫刻以外では「閉じた園、楽園の聖母子」(地上に坐る聖母子像)の絵画は咲き誇る花のかぐわしい香りを示唆していると解釈される。

何かに聴き入っているのは「弦楽器を持つ聖母子(喜びの聖母子、と呼ぶ場合が多い)」であろう。120は「喜びの聖母」と呼ばれる崇敬像で二人とも弦楽器を手にしており、何かの調べを奏でていると解釈できる→楽器。

 先述の「楽園の聖母子」の絵画では聖母や御子や聖女が楽器を演奏している場合がある(VlobergⅡ、p.206は音楽を教える場面を、→読み書きを教えるマリア、と併せて論じている)。なお、御子が泣いている表現では泣き声がしていると推量される。

口、唇

 しゃべる

 →「御子に読み書きを教えるマリア」、「書物やインク壷を持つ聖母子」の図像は二人が会話を交わしている場面とみなしうる。

 何かに触れる

 マリアの唇がイエスの手に触れる(口づけする)壁画がある(Vloberg,142p.図)

マリアの微笑を描く場合でも歯を明白に描く場合は少ない。

 舌を見せる単独像は未見である。食事の場面は別である。

頬 →皮膚

 イエスとマリアが頬を触れあわせる表現は立像彫刻では1180年の通称「ヘルマン・ヨセフの聖母子」が最初期の作例である。

顎(→御子の手がマリアの顎に触れる)

化粧

 女性の造形表現が写実的になれば同時代の化粧風俗の表出が見られると解釈できる(R.コーソン著「メーキャップの歴史」、ポーラ文化研究所、72ページ、スペイン、14世紀の聖母子像)。

マリアの顔

1)マリア

全般的記述

基本姿勢

 「情愛の聖母子」像は立つか座るかが殆どである。(115、座像、13世紀ドイツの作例)ただし降誕や産後を描く図像ではひざまづいたり、横たわったりしたマリア像がある。

人物像としての特徴(T.I.p.63

人種

 西欧の聖母子像では同時代同地域の人物として聖母子を描こうとしたと考えてよい。ただし世俗の母子そのままを写そうとしているのではない。また聖書時代の人物として描こうとする試みは19世紀のオリエンタリズム(東方趣味)の美術等で登場するが、中世においては稀と考えられる。

年齢

 情愛のマリアは若い女性として描かれる(悲しみのマリア等では中年に近いマリアの表現もある)。年齢を示すのはヴェール(頭巾)や頭髪の長短である→頭髪

背丈、相対的な大きさ

 通常の母子の標準から外れた大きさ、小ささは少ない。人物の相対的な大きさは重要度を示すと解釈できロマネスク頃の「尊厳の聖母子」では御子が相対的に大きく、「情愛の聖母子」では逆に御子は相対的に小さく描かれる場合も多くなる。 バイエルの聖母子(VlobergⅠ、p.147図)で御子の顔がマリアの両手に包みこまれてしまいそうな程小さいのは愛らしさの表現と言えよう。

人体(裸か否か)

通常は着衣の状態で描かれるが、→授乳のマリアでは授乳する乳房が描かれる場合もある。

身体各部の記述

頭部

 中世初期には以前からの伝統に倣いヴェール(またはマントから続く頭の覆い)を被っている場合が多かった。しかしヴェールが次第に中年の女性の徽と見なされ始めると若き母、処女マリアにはふさわしくないとされ、ヴェールを被るマリア像は次第に少なくなる(Beissel  p.332)。「マリアの母アンナ」とマリアから成る母子像でアンナがヴェールを被り続けるのと対照的である。

 →イエスの手がマリアの頭(冠)に触れる

頭髪、髪

 ヴェールをかぶっていないマリアをのい髪で描くことで処女らしさを強調する。

 冠は初期キリスト教時代からマリアのアトリビュート(持物)として重要であった。中世西欧ではマリアの王冠はますます豪華になっていった(Beissel 10世紀以来の傾向と述べている)。王冠の先端部には星(状のもの)も描かれるようになった。これは黙示録の女の12の星を意味する(116では冠の他に12の星がマリアの頭部を囲む)。117の冠も先端部は星状である。特殊な冠として「三重冠(Tiara 教皇の三重冠)」(118Trens 429434)がある。マリアの頭上にある場合はマリアが聖職者という意味ではなくマリアの三つの徳(処女性、殉教者、伝道者や教会博士)の象徴と解される。

 →イエスの手がマリアの頭(冠)に触れる

顔:容貌

 1415世紀にマリアの容貌はそれまでより現実の人間に近く、かつ美しく描かれるようになったと考えられる。造形表現が現実的になった以上それまでの「ルカが描いたとされる伝承に基づくマリア像」(ビザンティンから西欧に伝播)の影響やマリアの容姿に関する文学の影響は殆ど無くなる(Beissel  p.331)。すなわち造形表現において文献の記述はあまり典拠とされなくなった。

顔:表情

「容貌」が一定、不変の状態であるのに対して、表情は短時間しか継続しない顔の筋肉の動作を意味する。ここでは喜怒哀楽という感情表現ごとに記述する。

 喜びは微笑みが主である(Vloberg Ⅱ p.6994「マリアの微笑み」)。

 怒りについては、「情愛の聖母子像」の定義からもその表現は無いと考えられる。邪悪や異端に対して攻撃するマリア(または聖母子)像である「棒を持つマリア」や「蛇を踏むマリア(勝利のマリア)」は怒りの側面も含んでいる。前者では棒を降り下ろすように持っているので→錫杖を持つ聖母子とは区別できる。

 悲しみ、苦悶の表情は「悲しみのマリア」像に多い。ただし情愛の図像でも悲しみを暗示する場合がある。すなわちイエスの受難を予感して悲しみを湛えていると解釈される「マリアの予感」の図像、眠るイエス(十字架を持つ場合が多い)を見守るマリアである(→イエス、眠る:Vloberg Ⅱ、241.247)。また受難を暗示する持物(ぶどう等)を持っている場合も悲しみの表現と解釈されるが(Trens)、「情愛の聖母子」としての側面が皆無としてしまうのは適切ではないと考える(→ぶどう)。生涯の場面の「イエスの神殿奉献」は「マリアの7つの悲しみ」の一つとされるのでこれから派生したイエスを捧げ持つマリアの立像は「マリアの悲しみ」の表現と呼び得る(VlobergⅡ、223.240)。

情愛の聖母子像

14. 情愛の聖母子像

 西欧の聖母子像の主流はロマネスク時代までは尊厳な、正面性の強い「座った聖母子」であった。しかしゴシック時代の大聖堂に「立像」の聖母子像が登場して以後、情愛に満ちた聖母子が主流となる。

 このような「情愛の聖母子」像の様々な変化を頭の先から爪先まで人体の各部位ごとに主な傾向や変化を記述した。

考察する時代範囲はフランスの大聖堂のトリュモーに情愛を強調した「立像の聖母子」が登場した時期(13世紀前半)以降である。113はアミアン大聖堂の通称「黄金の聖母子」である。下限はイタリア・ルネサンス等でキリスト教図像においても世俗的、異教的モティーフが多くなり、宗教改革でマリア崇敬に疑問が投げかけられた15世紀末~16世紀初頭である。114はイタリア・ルネッサンスの彫刻で、頭部の冠や足元の擬人像などは非キリスト教的モティーフの導入である。考察する作品は彫刻に限定した。

             

 方法論

人体の各部を観察する際の方法論として、

Thesaurus iconographique. system descriptif des representations. .Paris. 1984. フランス文化省(Ministere de la culture)監修、C.N.R.S.(国立科学研究センター)協力、「図像シソーラス.図像表現記述システム」(以下、T.I.)を採用した。

 同書は図像を観察しその図像内容を記述する際のディスクリプター(統制された、記述のための用語)を体系的に配した辞書で、T.I.に倣えば聖母子像=聖書の人物(マリア、イエス、その他の登場するモティーフ)となる。以下、この3つを順次記述した。

2007年12月22日 (土)

20世紀前半のマリア

12. 20世紀 20世紀前半

 1950年のマリア被昇天宣言に至るまでの、20世紀前半のカトリック教会、教皇のマリアに関する主要な発言や宣言は下記の通りである。

1904年:「無原罪の御宿り」の教義宣言50周年の回勅、

1931年:エフェソ公会議(431年、マリアが「神の母」たることを宣言)の1500周年に「マリアの母性」の祝日制定(1011日)、

19421031日:全世界をマリアの御心に捧げる。教皇はその際、ファティマにおけるマリア出現に言及。

 なおカトリックの教義として宣言されるには至らなかったが1921年、ベルギーの枢機卿メルシエは「マリアがあらゆる恩寵の仲介者であること」を認めてもらうべく著述活動を展開した。

世紀末前後の美術

 19世紀末の「世紀末」美術では北欧のムンクが生殖との関係を暗示したヌードのマドンナを描いた。またゴーギャンは南国を舞台にしてやはり裸体の「マリア」を描いた。

次いでドイツを中心に表現主義美術が発生する。自然主義やアカデミズム、印象主義のいずれにも反対するような理念を持ち外界の印象そのものより印象を感じた主体の感情を重視する。その代表が「ディ・ブリュッケ」や「青騎士」(ブラウエ・リヒター)である。ディ・ブリュッケ(「橋派」)は1905年、ドレスデン工科大学の建築科学生を中心に組織された芸術家グループで表現主義運動の先駆とされる。ジプシーの母を持つオットー・ミュラー(18741930)の「ジプシーの聖母」(1919年)やカール・シュミット・ ロットルフ(18841976)の木彫のマリア像が特筆される。

 一方の「青騎士」は1912年カンディンスキーとマルクが刊行した雑誌の題名でもあり盛期は1914年の第一次世界大戦までである。カンディンスキーは叙詩的抽象画家とも称され形態を単純化した色彩の配列のような作品で知られる。絵の題は「コンポジション、第何番」の如き名称が多くこうした名称は音楽における表現主義の旗手シェーンベルクの曲名を想起させる。

 マリア像では女流画家ガブリエル・ミュンター(18771962)が特筆される。彼女はカンディンスキーの弟子で彼と同棲した時期もあった。ガラス絵でも多くの聖母子像を描き、月や樹木、尾をひく星を書き込んだ独創的構図の作(1909)もある。「聖ゲオルクがみえる静物」(1911年、ミュンヘン市立美術館)は民芸品や花を含む静物画で、題名の聖ゲオルクは騎乗の聖人で「青騎士」誌の表紙もそれとおぼしき聖人である。

表現主義的傾向は遥か前のキリスト教美術にも顕著との見解がある。中世盛期、14世紀頃のキリスト教美術において人間的な悲しみや激情を強調する傾向があり、激しい力による人体の変形、誇張した描写で現代表現主義に通じるような作品がある(「ピエタ(キリストの亡骸を抱く聖母マリア)の彫刻」、1370年頃、ボン、美術館)。こうした表現主義は両大戦間にナチスに「退廃芸術」の恪印を押されるまでドイツ美術の主流であった。

 ファティマでの出現

 第一次大戦中に、前世紀のルルドに続くマリア出現がポルトガルのファティマで報告された。19175月から数回にわたる出現で最初の出現は三人の牧童が目撃し「ロザリオを持ち、手を開いて祈る姿でマリアが出現した」という。世界大戦中の出現という時代背景からこのマリア像に対して「平和の女王」との呼称がある。第一次世界大戦後、ロシアは社会主義化してソ連となり、ロシア正教会は弾圧の対象となる。ファティマにおけるお告げに「ロシアを回心させなさい」云々があったと伝えられるのは、ロシアが反キリスト教化することへの危惧の表明とされる。ファティマのマリア像への崇敬はローマ教皇により1931年公認され、世界的な巡礼地となった。103は現地にあるマリア像である。

この他のマリア出現にベルギーにおける1932年のボーレン、1933年のバヌーも著名であるが教皇庁では公認していない。後者は「貧者の聖母」と呼ばれている。 

 両大戦間の美術

 芸術ではシュールレアリズム(超現実主義)が1924年フランスの詩人アンドレ・ブルトン等の「宣言」で始まる。シュールレアリズムは現実を超えた超現実をめざしたが、第二次大戦という巨大な現実の前には潰え去ったと言えるかもしれない(後述するダリは後期シュールレアリズムともいわれる)。運動の主導者の一人、マックス・エルンストのマリア像が104「マリアが三人の見ている前で御子イエスをせっかんする」(1926年)である。キリスト教図像学のレパートリーには無い図像で神の子も人となったことを過酷なまでのリアリズムで描き物議をかもした。この他注目されるのはジョルジュ・ルオーの連作「ミゼレーレ」内の聖母子像(1927年)や彫刻家ヘンリー・ムーアの一連の聖母子像である。105のムーア作(1944年、イギリス、ノーザンプトン、聖マタイ教会蔵)は20世紀イギリスのマリア像の代表作とされる。心理学で言う原型、アーキタイプとして捉えた母なるものの像はきわめて現代的である。

マリアの基本文献 21kara

その他

21)はカトリック以外の各派の典礼も詳しく述べている。

  カトリックの典礼暦、祝日におけるマリアについては

 Feckes.Car1So feiert dich die Kirche. Maria in kranz der ihrer Feste.  Kaldenkirchen. Steyl verlag.1957.227p. がある。

 世界各地のマリア崇敬を一望できるのが22)だが、イスラム教圏については項目が無い。文献6),第1巻には「コーランにおけるマリア」の項目がある。以下、地域ごとに紹介する。

 「聖地」(エルサレム近郊)におけるマリア崇敬、地理は聖書学や考古学の範疇でもある。マリアの伝記、たとえば23)に当地に関連する記述がある。

 ヨーロッパについてはドイツ中世に関する24)やオランダに関する大著、

 Kronenburg. Maria’s Heerlijkheid in Nederland.  8 v.   

Amsterdam. 19041914. がある。 (他に索引巻あり)

 それ以外の地域については25)が宣教地域のマリア崇敬をカトリックの世界伝道史として記述している。

 ラテンアメリカについては26)がある。

東方正教会圏のマリア崇敬に関してはZ7)がある。またプロテスタントにおけるマリア崇敬については28)や

Tappolet.WalterDas Marienlob der Reformatoren. Martin

Luther, Johannes Calvin,  Huldrych Zwingli Heinlich

Bullinger.  Tiibingen. Katzmann. 1962. 365p.

 がある。著者はプロテスタント。

 各地の巡礼地、崇敬像

 マリアの巡礼地と崇敬像を扱った文献に29)がある。先述のFlury、第2巻が各地の崇敬像(フランスが主体)の詳しい記述である。

なお、2)は国名項目のもと有名な巡礼地、マリア像をリストしており簡潔、重宝である。

 30)の著者は文献4),849882p

Typologie der Gnadenbilder を執筆している。

マリアの基本文献 11から20

図像学 総合

「マリアの図像学」といった題名でも記述範囲は限定されている場合が多くマリアの図像学の全貌を1冊で網羅していない。

 11)はスペイン美術に限定されているとはいえ「図像学の系統樹」の図示など他国や図像学全体へも拡張できる試みをしている。同著者にはマリアの生涯やマリア伝説の図像を扱った

Santa Maria.Vida y leyenda de la Virgen en el arte espanol. Barcelona.1954.  もある。

こうした単行本を補うのがキリスト教図像学全般を扱う文献内のマリアに関する部分である。

12)の関連項目を体系的に配列すれば、詳細、広汎な「マリア図像学」事典となろう。(松本富士男、東海大学文学部紀要48号、1988年、5157頁に項目のリスト)

13)は作品カタログ付きで簡潔な要約を提供する。

14)は図版が豊富で記述も詳細である。Band 4,2 Maria . が中核だが、他の巻もマリアを含む。

15a)~15c)は3つの地域に分けて読物に近い概説を提供する。

 なお、ロシアのイコンについては

Skrobucha.H. Russische Gnadenbilder . Recklinghausen. 1967. 78p.がある。

図像学 :特定のテーマ

 図像学の特定のテーマに限定した文献は16)~18)の他にマリアとエヴァの対比を中心に無原罪の御宿りの図像などを論じた

Guldan.ErnstEva und Maria - Eine Antithese als Bildmotiv . Koln. 1966. 376p. 等がある。

 美術史、画集に近い文献は図版の出典として重要である。展覧会カタログは資料としても重要である。

19)はイタリア・ルネサンスがかなりの部分を占める。

 なお、イタリア美術のマリア像については

Venturi.ALa Madonna. Milano1900. フランス語訳がある。

Stubbe.ALa Madonne dans l'art.

 Bruxelles.Elsevier.1958.384p.は印象派など近現代の作品も含む。

最近のものでは

Bernard.Bruce. The Queen of Heaven. A selection  from 12th to 18 th centuries.  LondonSydney. 1987. 248p.  (訳あり)

がある。

マリアの基本文献 1から10

解題

1)は3部、50章から構成された体系的百科。巻末に書誌、索引が付く。

 I.「時におけるマリア」(歴史等)、Ⅱ.「教会におけるマリア」(教義、典礼等)、Ⅲ.「マリアヘの証言」(文学、芸術、民間信仰などに現れたマリア)。

 カトリック教会の歴史観に基づく区分。スペイン語訳がある。

 なおイタリア語の辞典(原書はフランス語)に簡略な Piccolo dizionario mariano.  1981. 350p.もある。

2)は平易で一般向け、具体的項目の多いABC順辞典。地誌や教会に関する記述も充実している。マリアの参考図書が少ない英語圏における貴重な例外となっている。

3)は全25分冊の予定で始まったが、第8分冊(-Elisabeth)で中断。そこまでの合本がある。完成したならば45005000欄になったと予想される。森羅万象にマリアの姿を見出そうするドイツらしい徹底主義が中断した一因かもしれない。

 なお出版社Pustet4)という1巻完結、分野別のハンドブックを出版して面目を施した。巡礼や民間信仰といったフォークロア分野の充実が特徴。

5)は神学中心の辞典。著者はアイルランドのマリア学者。

 同様の神学辞典にイタリアのマリア学者による

Roschini.G.M Dizionario di Mariologia. Roma.Editrice Studium..1960 . 518p.

 がある。著者は全4巻からなる「マリア学」を2回執筆するほど精力的に活動した。

6)はマリアの全体像を提供する大著で資料の宝庫である。3巻の予定が5巻に増大し更に補足的内容の6~7巻、そして第二ヴァティカン公会議の成果と総索引からなる8巻に至った。

各巻の内容は以下の通りである。

 Ⅰ.聖書,教父文献,典礼,教義、司牧 924p Ⅱ.文学,芸術.マリア崇敬・霊性の歴史(中世盛期~)1003p Ⅲ.マリア崇敬・霊性の歴史(続き,ベルーア学派~被昇天の教義成立)824p IV.世界各地のマリア崇敬(ヨーロッパ、アジア) 1040p Ⅴ.世界各地のマリア崇敬(アフリカ,アメリカ,オセアニア、Ⅳに遅れた原稿)、崇敬総合 1088p Ⅵ.聖書の実証的研究、思弁神学、他 868p Ⅶ.教義とエキュメニズム(教会統一運動),他 458p Ⅷ.第ニヴァティカン公会議,総索引 214p

 総索引に分析的な記述があり辞典としても活用できる。

7)は体系的論文集。一般向けながら出典指示も丁寧に記している。各巻の内容はI啓示(聖書やキリスト教の伝承)、Ⅱ神学、Ⅲ崇敬で、I、Ⅱ巻合冊のスペイン語訳がある。ドイツの先駆的著作、

Straeter,P.hrsg.Katholische Marienkunde . 3 vols. 2 ed. 1952.

を踏襲した構成となっている。

 

 この他論文集として「国際マリア学会」論文集がある。1950年よりほぼ4年毎に開催されている。

 

開催年 会議録の題名、テーマ         開催場所

1950 Alma Socia Christi  キリストとマリア  Rome

1954 Virgo lmmaculata   無原罪の御宿り 

1958 Maria et Ecclesia マリアと教会       Lourdes

1965  Maria in Sacra Sacriptura 聖書  Santo Domingo

1967  Primordiis cultus Mariani 初期の崇敬  Lisbon

1971  崇敬6 11世紀                   Zagreb

1975  崇敬12 15世紀  

1979 崇敬16世紀                      Saragossa

1983  崇敬1718世紀(フランス革命まで) La valetta

1997 崇敬19世紀                         Kevelaer

8)はマリア崇敬・教理の通史。著者はカトリックだが批判精神も忘れず東方教会も含むバランスのとれた記述をしている。

 英訳 Mary; History of Devotion and Doctrine. スペイン語訳、イタリア語訳もある。同著者には簡潔な

Devotion to Our Lady 20th Century  Enciclopedia of Catholicism  N0. 45.New York. Hawthorn Books. 1963. 108p.    もある。

 なお、プロテスタント側からの通史に

Delius. Walter, Geschichte der Marienverehrung. Munchen / Basel . E.Reinhardt 1963.. 376p.

がある。

9)は教科書的にマリアの教理の発展とマリアの生涯を記述している。著者はフランスのマリア学者。初版から5版に至るまで別の本と思えるほど改訂を積み重ねている。ドイツ語、スペイン語、イタリア語訳がある。

10)はマリア書誌のシリーズとして最も網羅的である。

 Bibliografia Mariana 1973-1977 . Roma.1980.428p.は最新版

 この書誌で採用されている文献の分類コードはマリア学の全域を体系的に示している。A.書誌B.体系的著作C.教会の公文書D.聖書E.伝承、歴史F.現代(学会、会議録等)G.マリアの特権,徳H.「救済史」におけるマリア J.マリアの被昇天,尊厳L.教義上の諸問題 M.エキュメニズム(カトリック以外、教会統一運動)N.マリアの生涯、伝記 О.人類学,神話、比較宗教学 P.崇敬(一般)Q.典礼 R.司牧 S.霊的生活T.マリア讃歌,U崇敬(特定)V.団体、教団 W文学 X芸術(図像学、美術、音楽、小芸術、切手)Y.崇敬(各地)Z.雑,その他 (I,Kは欠番、崇敬はP,U,Yに分割)

 なお、精選された書誌として

文献1,885918 p Besutti編)、やその発展である

BesuttiNote di Bibliografia Mariana .1963.130p.

そして9),186196p等がある。

 マリア図像学の書誌には以下の文献巻末のBibliographie327345p)がある。

Guldan.ErnstEva und Maria Eine Antithese als Bildmotiv . Koln.1966. 376p.

 文献を40項目に分け、1.マリア図像学全般67点、2..覧会カタログ14点、のようにリストしている。

マリアについての基本文献

マリアに関する基本文献

1)~30)は文献番号

百科事典、辞典

1Encyclopedia Mariana Theotocos.  Spiazzi R.

Milano2 ed. 1958. 949p. 

追加: Nuovo dizionario di mariologia

2Attwater. DonaldA dictionary of Mary.

 New York 1956 / London l957. Longmans Green and Co. 312p.

追加:Dictionary of Mary.  revised and expanded edition.    Catholic Book Publishing Co., N.J. 552.

3) Lexikon der Marienkunde. Band l . A-Elisabeth.  

Regensburg. 1967. 1564col. 

追加: Marienlexikon.  IMR.  1994. 4392p.

4) Handbuch der Marienkunde. hrsg. von Wolfgang Beinert u . Heinrich Petri.  Regensburg. Pustet.. 1984. 1042p.  

5OCaroll. M. Theotokos. A  theological encyclopedia of the Blessed Virgin Mary. Wilmington. Michael GlazierInc.

  rev.ed. 1983.  390p.

追加: Marie. Dictionnaire de spiritualite 10.  Paris. 1980.  164p.

体系的論集

6Manoir..H.. du ed.  Etude sur la Saint Vierge. 8 vols.

 Paris. Beauchesne .  1949-1971 . 6419p.

7Caroll. J.B.  ed. Mariology. 3 vols.

 MilwaukeeThe Bruce Publishing Company.

通史

8Graef. HildaMaria. Eine Geschichte der Lehre und

Verehrung.  Freiburg.  Herder. 1964. 425p.

個人による総合的著作

9Laurentin.ReneCourt Traite sur la vierge marie.

 Paris. P.Lethielleux. 5 ed. 1968. 222p.

  追加:Pelikan

  追加:Warner.MarinaAlone of all her sex. The Myth and the Cult of the Virgin Mary. New York. 1976. 400p.

移動:Vloberg. MauriceLa vie  de Marie. Mere de Dieu.

Paris. Librairie Bloud et Gay. 1949. 318p.

書誌.

10Besutti.GiuseppeBibliografia Mariana. 19471977.

 Roma. Editioni Marianum.19501980

図像学:総合

11Trens.ManuelMaria; Iconographia de la Virgen

en el arte espanol. Madrid.Editorial  Plus-Ultra.1947.

715p.

追加:Jutta StroterBender Die Muttergottes.

Das Marienbild  in der christlichen  Kunst. Symbolik und Spiritualitat .  DuMont  Buchverlag  Koln. 1992.  256p.

12Lexikon der  christlichen Ikonographie. 8 Bande.

 Freiburg in Breisgau. Herder. 1968-1976.

13Reau. LouisIconographie  de l.art  chretien.

Tome second-Ⅱ. Paris. 1957. 

14Schiller. GertrudIkonographie  der  christlichen Kunst.

Bd.1Bd.5/2.  Gutersloh. 1966..

15aLes types iconographiques de la Mere de Dieu

dans 1art byzantin .

15bMarie et l’Iconographie russe.

15cLes types iconographiques de la Vierge  dans

 1art  occidential .

図像学::特定のテーマ、時代

16)Lafontaine-DosogneJ.  Iconographie de l' enfance

de la vierge dans  l' empire byzantin et en Occicident.

Bruxelles . Academie Royale de la Belgique.

2v.. 1961-1965. 249p219p

17Wellen.G.A. Theotokos. Eine ikonographische Abhandlung

uber Gottesmutterbild  in Fruhchristlicher Zeit.. 

Utrecht-Antwerpen. Uitgeverij Het Spectrum. 1961  .256p.

追加:Freytag

 追加:Guldan.ErnstEva und Maria - Eine Antithese als Bildmotiv . Koln. 1966. 376p. 

18Vloberg.Maurice, La Vierge et l’Enfant  dans l’art

francais. Grenoble. B.Arthaud.  2v.  170p,140p.

美術史、画集

19Rothes.WalterDie Madonna in ihrer Verherrlichung

durch die bildenden Kunst. aller Jahrhunderte.

3 auf1.  Koln . 1920. 256p.

追加:Stubbe.ALa Madonne dans l'art.

 Bruxelles.Elsevier.1958.384p.

展覧会カタログ

20Maria. Die Darstenllung der Madonna in der bildenden

Kunst. WienKunsthistorisches Museum.1954. 86p.

追加: Mother of god. Representations of the  virgin in Byzantine  art.  Milan. 2000. 531p.

典礼

21

世界各地のマリア崇敬

22

ヨーロッパ

24Beissel.StephanGeschichte der Verehrung Marias

in Deutschland wahrend Mittelalters.

Freiburg in Breisgau. 1909. 678p.

それ以外の地域

25) Freitag. ADich preisen die Volker.

Ka!denkirchen. 1954. 422p

26Vargas Ugarte .RubenHistoria del Culto de Maria

en :Iberoamerica.  2nd ed. Buenos Aires.

Editorial HuarpesS.A. 1947. 818p.

カトリック教会以外のマリア崇敬

27a Foi  et  piete mariales  a Byzance.

27b)  Marie dans la theo1ogie orthodoxe greco-russe .

28Schimmelpfennig, R. Die Geschichte der

Marienverehrung im deutschen Protestantism.

Paderborn. Schoningh. 1952.

29) Beissel

30) Kolb

20世紀後半

定期刊行物、団体

 マリアヘの関心の深まりが定期刊行物や学会の頻出に窺える。定期刊行物は学術的なものと信者の信仰の滋養的なものに大別でき前者にはイタリアのMarianum1939~)、アメリカの Marian Studies1950~)等がある。後者は平信徒の団体が刊行する場合が多い。20世紀にはそれまでの修道会や信心会の他にマリアとの密着を掲げ軍隊的要素の強い、平信徒の組織が出現した。1917年、ポーランドでコルベ神父が創始した「聖母の騎士会」や1921年、アイルランドでフランク・ダッフが創始した「マリア軍団」等がある。コルベ神父は日本にも滞在し最近、聖人に列聖された。日本における同会の機関誌「聖母の騎士」はカラー表紙に聖母子像を掲載している。

20世紀後半

 マリア被昇天の宣言以降カトリックのマリア論において「マリアと教会」というテーマに注目が高まった。それまでの伝統的、主流のマリア論は「キリスト中心」でマリアが神の母であること、マリアとキリストの類似、両者の密接な関係を重視するものであった。これに対して「教会中心」は教会のタイプとしてのマリアを重視し両者がどのような関係にあるかを述べようとする。 1958年、無原罪の御宿り宣言100周年を記念して開催された国際マリア学会議は副題を「マリアと教会」として両方の型のマリア論が提示されている。

 カトリック教会は1962年の第二ヴァティカン公会議では教会を主テーマとしたので「教会中心」のマリア論の優位が予想された。しかし草稿の段階で両者の意見が別れ、マリアに関する言明は公会議の教会に関する言明の一部となること、ただしどちらの型のマ

リア論も優先させはしないことに落ち着いた。「教会憲章」の第8章がマリアについての章となった。67節の「マリアについては誇張でもなく狭量でもなく」は1974年のマリアリス・クルトゥス(教皇の声明)がマリア崇敬における中道を唱えていることに連なる。

 

エキュメニズム

 こうしたマリアに関する声明は正教会やプロテスタントとの対話をめざす「エキュメニズム(教会一致運動)」からも注目される。第二ヴァティカン公会議では正教会やプロテスタントについて言及している。プロテスタントに対して正教会の神学者ブルガーコフは「プロテスタンティズムが正教会と最も違う点はその信仰と活動(典礼や司牧等)においてマリアが欠けていることである」と述べている。その主張は「少ない」ではなく「欠けている」という強い否定である。プロテスタントの神学者、M.テューリアン(フランス)は「初代教会の教世紀間、マリアに関して沈黙が守られていた(重視されていなかった)ことはカトリック教会のこれまでのマリア論(マリアの重視)はとうてい調和できるとは思われない」と述べている。こうした発言はあるがエキュメニカルな対話においてマリアは避けて通れない中心的課題である。カトリックとプロテスタントの神学者の対話、共同シンポジウムはたとえばブラウンの「聖書におけるマリア」(10人の参加)等に結実している。

20世紀のマリアの美術

両大戦間の美術

 芸術ではシュールレアリズム(超現実主義)が1924年フランスの詩人アンドレ・ブルトン等の「宣言」で始まる。シュールレアリズムは現実を超えた超現実をめざしたが、第二次大戦という巨大な現実の前には潰え去ったと言えるかもしれない(後述するダリは後期シュールレアリズムともいわれる)。運動の主導者の一人、マックス・エルンストのマリア像が104「マリアが三人の見ている前で御子イエスをせっかんする」(1926年)である。キリスト教図像学のレパートリーには無い図像で神の子も人となったことを過酷なまでのリアリズムで描き物議をかもした。この他注目されるのはジョルジュ・ルオーの連作「ミゼレーレ」内の聖母子像(1927年)や彫刻家ヘンリー・ムーアの一連の聖母子像である。105のムーア作(1944年、イギリス、ノーザンプトン、聖マタイ教会蔵)は20世紀イギリスのマリア像の代表作とされる。心理学で言う原型、アーキタイプとして捉えた母なるものの像はきわめて現代的である。

 マリア被昇天の宣言

 1950111日、マリアの「被昇天」はカトリックの教義として宣言された。「マリアがその地上の生活を終わった後、肉体と霊魂とともに天の栄光にあげられたことは神によって啓示された真理である」がその主文である。「地上の生活を終わった後」との言い方は死んだか否かを明言していない。宣言の起草者ジュゲーはマリアの死については肉体の被昇天から切り離し言及を避けるよう教皇に進言した。聖書はマリアの生涯の最後について記さず、外典が記すマリアの死の前後の事情が「マリアの死、埋葬、被昇天」等の造形表現の典拠となってきた。被昇天の宣言は「外典や図像学の譬えやレトリックを除去した上で成立した」このように神学的にあいまいさが残る、かつプロテスタントとの和解の障害となりそうな宣言を敢行した理由は「戦争や道徳の低下といったなかで人間の魂へのみならず肉体への敬意も低下した。そこで全く人間であったマリアの肉体の栄光を宣言することで(肉体の)復活への信仰を改めて強化し、人々が自他の肉体を無傷に保つよう願った」ためとされる。

 ダリの「反陽子的な被昇天」(106)を紹介する。ダリはシュールレアリズムの流れを汲む画家である。陽子や反陽子は20世紀科学の先端である原子物理学が発見した素粒子で20世紀ならではのモティーフである。ただし墓に花が咲いている点などには伝統的図像学の名残りもある。ダリは多くのマリア像を描いており「ボルト・リガトの聖母」や「ファティマの幻視」がある。また「犀的なラファエロの聖母」や「ラファエロの聖母の最高速度」、「2メートルから見るとラファエロ作システィナの聖母子像」(だまし絵)等は同じラファエロを下敷きにしながら19世紀のアングルの作とかなり異質である。

 現代美術

現代美術のマリア像の代表とは何かまだ評価は定まっていないが幾つかの注目作を紹介する。107はフランスのアッシーに献堂された教会の正面モザイクである。作者はキュービズムの画家として有名なフェルナン・レジェである。この教会は現代における「聖なる美術」の可能性を提唱した実験的建築である。内部はシャガール等の作品で飾られている。この図は中央にマリアの胸像、その周囲にマリアの連祷にある象徴を描く。現代風、あるいは抽象的にアレンジされているが、図像学の伝統も感じさせる構図である。108はシャガール作のステンドグラスでフラウエンミュンスターにある。日本のマリア像の作者には長谷川 路可、イコン画家の山下りんなどがいる。

19世紀後半

ニューマンとシェーベン

 先述のイタリア統一でローマ教皇は領土を失ったが霊的(精神的)な面では指導力を強めようとしていた。イタリア統一直前の第一ヴァティカン公会議(186970)では教皇が信仰に関して述べることに誤りはないとした、いわゆる「無謬性の宣言」を宣言した。ただしマリアに関しては特に新しい決定はみられなかった。カトリック教会のマリアに関する発言では二人の人物が注目に値する。イギリスのニューマン(1801790)はイギリス国教徒からカトリックに改宗、枢機卿にまでなった。その書簡や著作にマリアに関する神学が窮える。またドイツのシェーベン(183588)はマリア論の基本として「マリアはキリストの霊的花嫁である」との神学を展開し20世紀に再評価されている。

ブラッセらの大著

 ジャン・ジャック・ブラッセ(181370)が編纂した13巻の大著「賞賛すべき聖母マリア大全」(1862年)がある。ブラッセは自著も含めマリアに関する様々な分野の著作を集めている。批判に欠ける集積もあるがなお参考になる部分も多い。たとえば17世紀のH・マラッチはマリアに関する比類なき多作家でありその最も有名な著作「マリア賛歌集成」が9・10巻に載録されている。マリアの呼び名、尊称をABC順に収録して1200欄近い分量である。また美術に関しては巡礼地の崇敬像や図像学、聖遺物等の著作も含んでいる。現代のマリアに関する著作の構成に影響を残している。協力者ミーニュ(180075)はキリスト教文献を集成した「ギリシア教父・ラテン教父」(計382巻)で有名である。また図像学の分野の大著としてはロオール・ド・フリューリの二冊本がある(パリ、1878年)。副題に図像学的、考古学的研究とあり、美術や崇敬像の地誌が中心で、フォリオ大判計1000ページ余、膝にのせて読むには難儀する重量である。

フランス19世紀

ミレーの「晩鐘」

19世紀の偉大と呼び得る、フランスの宗教画家はミレーやコローくらいである」。二人(共に1875年没)は風景画や印象主義的作で知られているが宗教的静けさを湛えた作も多い。

ミレーの「晩鐘」(185859年、ルーブル美術館)の主題はマリアと関連がある。晩鐘、アンゲラスとは受胎告知に因む祈りで、晩だけではなく朝と昼、一日三回唱えるものである。西欧中世には定時になると鐘を鳴らしアンゲラスの祈りを促すことが慣習となっていった。祈り自体は13世紀頃から記録にあり最初は晩のみ次いで朝、さらに昼へと回数が増えていった。祈りは季節の別なく唱えられるが復活祭の前後だけは復活に関する祈りが優先される。朝の6時と晩の6時という時刻は中世西欧の生活習慣では仕事の姶めと終わりを知らせる意義も有していた。ミレーの絵では夕暮れ時、鐘を聞いた農民夫婦が祈りに耽っている様を描いている。遠景の教会が鐘を響かせているのであろう。目に見えない信仰というものの臨在を感じさせるような絵である。

フランス19世紀

ヒッポリト・フランドリン(180964)はアングル的な優美さを引き継いでいる。100「降誕」はパリ、サン・ジェルマン・ド・プレ教会内のフレスコ画で理知的な、古典主義的作風である。他に聖母子像で有名な画家はシャルル・ランデル(18211908)である。101は「マリアの予感」との題で悲しみの予感を暗示している点が通常の聖母子像と異なる。すなわちイエスの持つ十字架は将来の受難を予感させマリアの下向きの視線には憂いが窮える。後方の二人の天使が持つ茨の冠と聖体顕示台もイエスの十字架刑やエウカリスティア(キリストの体である聖体)を示唆する。

 頂上にある彫像

 彫刻作品においては19世紀前半からの新古典主義が主である。図102の「御子イエスを高く掲げるマリア」、A・ロゼ作ではマリアの誇らしげな姿が印象的である。この彫刻は教会の突端に設置されており下部にはフランス北部、ピカルディー地方の田園風景が広がっている。この高みからマリアは御子イエスを世界に示しているかのようである。同様の「高く掲げるマリア像」にアントワーヌ・ブールデル(18611929)の6メートルにもなる作品がある。

 世界記録

 余談になるがこうした「頂上」にあるマリア像は長大なものが多い。有名なものではマルセイユのノートル・ダム・デラ・ガルデ教会(「守衛としてのマリア」の意味)の尖塔には高さ9メートルの聖母子像がある(1864年作)。世界最長とされるマリア像は 1938年に建てられ高さ38メートルもある。マリアに関する世界記録として世界一高い所にあるマリア像も紹介する。イタリアの探検隊がヒマラヤのK2(世界最高地点)に1854年に置いたマリア像である。これは移動可能な品で、世界最高地点にある建築は南米、ペルーの4800メートルの山地、リオ・パランガ山脈にあるマリア・チャペルである。

オリエンタリズム

オリエンタリズム

 1870年前後にドイツ、イタリアが各々現在の国家の統一をなし遂げている。またフランスの美術は印象派を生み出そうとしていた。当時の美術では他にオリエンタリズム(東方趣味)も特筆できる。西欧からみた東方と言えば日本もそうであり印象派に対する浮世絵の影響もある。ただしマリア像に関しての東方とは聖書の舞台、特にエジプトである。フランスでは19世紀初頭のナポレオンのエジプト遠征や発掘の成果などで東方への関心も高まり、美術でエジプトの風物、ピラミッドやスフィンクスを多く描くようになる。キリスト教の図像でもエジプトや聖書の原風景であるパレスティナにおいてマリアを描く試みが盛んになる。マリアとヨセフがベツレヘムに到着して宿屋に拒絶される場面(ルカ福音書2章7節の「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」)を描く99で、妊娠したマリアは道に座りこんでおりヨセフは宿を所望するかのように窓から覗く人にマリアを示している。作者のルカ・オリヴァー・メルソンは「エジプト逃避」(1879年)で砂漠、夜、スフィンクス等、「孤独」感を高める東方風物を描いている。

 東方や聖書の原風景の中にマリアを置くことはJ・ティソーとJ・オーベルの連作、「イエスの生涯」にも見られる。彼らは実際にパレスティナを旅行し「正確」な背景描写を志した。イギリスのラファエロ前派のホルマン・ハントにも同様の態度がある。

ボワロン派

 エジプト的要素はドイツのキリスト教美術のボワロン派にもある。この派は復古的キリスト教美術で1870年、レンツ等により始まる。修道院の壁画を主に、正面性が強い、典礼と密着した作品を多く残した。たとえば聖母子の両脇に祭服を着た司祭を描いたりしている。またエジプト的要素が装飾文様としての木、植物、ハスに窮える。彼らの代表的聖母子像にはホーレンツォレルンのザンクト・マウルス礼拝堂のフレスコやモンテ・カッシーノ修道院のフレスコがある。後者では聖母子の周囲に天使が描かれている。ボワロン派は古代エジプトのファラオ(王)の墓所芸術等も範としていたので正面性の強調はそこに由来する。また聖性を強調する手段としてビザンティン的な作風も窮われる。

ラファエロ前派

ラファエロ前派

 一方イギリス国教会の下にあったイギリスは19世紀初頭のカトリック教会の動きの影響を受けた。すなわち183345年の「オックスフォード運動(国教会内部での改革運動)」は初代教会への回帰を主唱し当然マリアヘの再評価も含んでいた。国教徒として運動に参加したが1845年にはカトリックに転向し終には枢機卿にまでなったニューマン(180190)は世紀後半のマリア神学に重要な位置を占める。美術では1848年結成の「ラファエロ前派」はキリスト教がより純粋であった。ラファエロ以前への復興を提唱した。ロセッティの「受胎告知」、バーン・ジョーンズの「受胎告知」等のマリア像が有名である。98の「降誕」の作者アーサー・ヒューズは繊細な感受性を特色とし、キリスト教的主題以外でも「4月の愛」(ラファエロ前派の最も美しい作とされる)や「海からの帰宅」といった秀作を描いている。図98の生まれたばかりのイエスを見つめるマリアは少女のように若く周囲の天使とともに神秘的雰囲気を漂わせている。

 以上、ドイツ、フランス、イギリスのマリア像に共通するのはラファエロとの関係である。ナザレ派やアングルはラファエロを模倣、学ぼうとし、ラファエロ前派はアンチテーゼとしてそれを乗り越えようとした。聖母子像画家の代名詞ラファエロへの挑戦はオリジナルを上回るマリア像を残したとはいえない。しかし19世紀前半のマリア復興を証する美術としてその意義は低くない。

19世紀のマリア出現

パリでの出現

1830年のマリア出現はマリアの無原罪の御宿りへの関心を再燃させた。出現とはある人々にマリアが超自然的に現れたとされる現象のことで1920世紀の出現は中世とはやや性格を異にする。即ちカトリック教会が「真実の出現」とみなした出現を公認し巡礼や信心を奨励したこと、コミュニケーション(人間や情報の移動)の発達がより多くの信者の巡礼を可能にしたことである。裏を返せばマリア出現と称して報告された現象でも「公認されていない」場合が多くある。更にそれまでの出現は殆ど成人に対してだが子供や若年層に対してが多くなる。さて1830年のマリア出現はパリで、ルー・デ・パックの修道女、キャサリン・ラブレに対して起こった。彼女は1217日、無原罪の御宿りの絵画で描かれているようなマリアを見た。地球の上に立つマリアは下に向けた指先から光を放っており、その周囲に楕円形の枠と字句、「ああ、原罪無くして宿られたマリアよ、あなたを頼りとする我等のために祈りたまえ」があった。キャサリンはまたこの姿を刻んだメダルを作るべしとの声を聞いたと言い、「奇蹟のメダル」と称されるメダルが流布した。96はドイツにおける一例でマリアの周囲に上記の意味のドイツ語、下部には出現の年代1830が刻印されている。

 グリニョン・ド・モンフォール

 1842年、マリアヘの信心の書物として当時のベストセラーと呼べる書物が出版された。グリニョン・ド・モンフォール(1716年没)の「聖母マリアヘの真の信心」である。彼はこの死後出版まで殆ど忘れられていた。しかし彼のマリア信心は現代のコルベ神父(聖母の騎士会)等、多くのマリアの宣教者に影響を与え続けてきている。モンフォールは信者が神へ近づくためにはマリアの仲介が不可欠と説いた。地上の王に対して紹介無しには近づけないのと同様、マリアに対しても「私たちを神に紹介して下さい」というように話しかけるのが謙譲で素晴らしいことである。なぜならマリアを通じての接近ならば神やイエスは拒絶されることはないからだ」と言う。このようにモンフォールはマリアヘの節度ある「隷属」を説いた。

 ラ・サレットでの出現

 1843年、フランスのアルプスの山間、ラ・サレットで二人の子供に対してマリア出現が起きている。少年ジロー、少女メラニーに現れたマリアは石に坐り、泣いている姿で人々の信心が薄れたことを悲しんでいたと言う。この出現はローマ教皇にも伝えられ、メラニーは1879年、40歳の時、「ラ・サレットの秘密」との著書を出版する。ただし彼女の主張は次第に妄言に近くなったといい1904年に亡くなった。出現のあった地には教会やマリア像(97)が作られ、巡礼地を維持管理する信心会も発足した。この顔を伏せ、悲しむマリアという図像タイプはあまり他に例を見ない。

 無原罪の御宿りの宣言

 こうした事象の後、マリアの無原罪の御宿りを教義として宣言して欲しいとの要望がカトリック教会内部で高まり1854128日の宣言に至った。「人類の救い主キリスト・イエズスの功績を考慮して、処女マリアは、全能の神の特別の恩恵と特典によって、その懐胎の最初の瞬間において、原罪のすべての汚れから、前もって保護されていた。」教義宣言の場を描いた歴史画がある。なお宣言の直後1858年のルルドにおけるマリア出現は無原罪の御宿りをカトリックのみならず世界的に知らしめた。この出現でのマリアは少女ベルナデット等に「私は無原罪の御宿りである」と告げたとされるからである。ルルドはファティマ(1917年にマリアが出現)と並び世界的なマリア巡礼地となっている。

1920世紀のマリア出現で報告されたマリアの姿は「無原罪の御宿り」像であることが多い。

19世紀前半

19世紀前半

19世紀初頭には多くのマリア信心会が誕生した。主な信心会は「イエスとマリアの聖心会」が1800年、マリスト会が1801年、マリアニスト会が1817年の創立である。次に「マリアの無原罪の御宿り」が教義として宣言(1854年)される前後の一連の出来事がある。1830年のマリア出現から1858年のルルドでのマリア出現の間は「マリアに関する動きの再燃」の時期、フランス革命以後の理性重視でやや不振であった信仰の再興期とみなされている。美術ではドイツのナザレ派、フランスのアングル等、そしてイギリスのラファエロ前派などのマリア像が注目される。

 ナザレ派

 ナザレ派は19世紀初頭のドイツの画派で発祥はイタリアのローマ、1809年にオーヴァーベック等が結成した「ルーカス同盟」である。厳格な宗数的生活を理想とし後にナザレ派と呼ばれるようになる。作風はイタリア・ルネサンスの画家ラファエロやその師ペルジーノ等を範とした。ナザレ派はイギリスのラファエロ前派にも影響を与え、「ラファエロ前派の代表ロセッティはナザレ派の代表オーヴァーベックの理念の宣教者である」との見方もある。

 ドラクロアとアングル

 この時期のフランス美術ではドラクロアとアングルが注目される。ドラクロア(17981863)はロマン主義の旗手として動的な構図、激しい色彩を特色とするようになるが最初の依頼作品はマリア像であった。21歳の時の「収穫の聖母」(オルセモン教会のため)である。また1821年には「サクレ・クール(聖心)の聖母」を描いており、その習作は日本でのドラクロア展(1969年)で展示された。日本での常駐作としては国立西洋美術館の「マリアの教育」がある。

ドラクロアに対して新古典主義美術の旗手とされるのがアングル(17801864)である。イタリアに留学、182024年にはフィレンツェに滞在してラファエロの作品に感銘を受けた。フィレンツェでの作「ルイ13世の誓い」は帰国後パリのサロンで好評を博し出世作となった。フランス王ルイ13世が信仰あつい君主として1638年フランス(国家)をマリアに奉献した場面を描く歴史画である。その構図はラファエロの「システィナの聖母子」、「フォリーニョの聖母子」の影響がある。また1840年の「ホスティアの聖母」(95)は聖饗式のホスティア(聖餅)を見つめるマリアを描く。秀でた技量で気品あるマリアを描いているが、理知的だが冷たい描写で情感や心の琴線に触れるものに乏しいとの批評もある。

ドイツ、フランス 18,19世紀

ドイツ18世紀

 こうしたフランスに比して隣国ドイツの美術は長く不振となる。18世紀美術にはかつてのデューラーのような大家は不在である。他国との比較だけでなく他芸術との比較でも美術の不振は明瞭である。文学でゲーテやシラー、音楽でバッハやベートーベンといった大家を輩出しているからである。カトリック圏であるドイツ南部や隣国オーストリアではバロック様式の傾向を継ぎマリア像も教会の天井画が中心となる。フランスのように油彩画が中心ではなく大規模な壁画やフレスコ画中心でフランス的ロココの影響は少ない。様式的にもドイツはフランス風の軽やかさとはかなり隔たっている。ドイツ南部ではコスマス・ダミアン・アザム(16861739)や弟のエーギット・クヴィリン・アザム(16921759)が活躍する。94は弟エーギットの「マリア被昇天」の彫刻でロール巡礼教会の主祭壇である。171725年の作でバロック的な激情も色濃く示している。教会内のマリア像ではこうしたマリアの天上界における描写(「被昇天」「無原罪の御宿り」やその複合した図像等)が多い。「家庭のマリア」と呼ばれる簡素な彫像は信者の家庭などに多い。一方、ドイツ北、東部のプロテスタント圈は造形表現に慎重で教会装飾は簡素にとどめ、荘重な肖像画等を中心としているのでマリア像も少ない。

 11. 19世紀 フランス革命前後

 18世紀後半からの時代傾向は啓蒙主義や理性重視でありマリアに関するカトリック教会内の動向や神学は17801830年頃は停滞期とみなされている。この停滞を破った出来事は1830年にフランスで起きた。「奇蹟のメダル」というマリア出現である。これは「無原罪の御宿り」の宣言を促す一因ともなりマリア論を巡る議論も再び活発になる。18世紀の末、フランス革命前後にはロココ様式に代わり新古典主義美術が主流となる。これはイタリア、ローマにおいてバロック様式の過剰に対するアンチテーゼから発している。ローマでは「古代への回帰」の傾向で1740年頃のボンペイ遺跡の発掘等により喚起される。新古典主義は古代や理想美へのこの熱情と結びつき「簡潔、厳粛で理知的な冷たさ」等の特色を持って誕生する。フランス人ダヴィド(17481825)が1784年、ローマで描いた「ホラティウス兄弟の誓い」である。18世紀美術の中心はフランスに移り、新古典主義は1820年頃まで主流となる。

 この新古典主義美術はフランス革命以後、革命自体の出来事やナポレオンの理想でもあった古代ローマを賛美する役割を果たしている。またフランス革命はキリスト教に対抗して「理性の宗教」を樹立しようとしてマリア像の代わりに「理性の女神」像が描かれたりした。フランス革命の影響はフランスにとどまらなかった。芸術の寛大な保護者であったカトリック教会の役割も宗教画の需要も減ってくる。スペインやイタリアは啓蒙主義の影響がそれほど無く、キリスト教美術もフランスやドイツほど大きな変化を彼っていない。イタリアではティエポロ、スペインでは内戦の混乱のさなかにゴヤ等の巨匠が活躍している。

女羊飼いマリア 

子羊と羊飼い

 マリアの服飾について中世からは聖職者や戦士の服を着たマリアを紹介した。ここではロココ時代を中心に「女羊飼い」の服装のマリアを紹介する。マリアはかつて「子羊」そのものにもたとえられていた。西暦180頃没のメリトによる「復活祭についての説教」はマリア(原文では「キリストを生んだ処女」)のことを「善き子羊(女性形)」等と呼んでいる。十字架で犠牲になったキリストは「犠牲の子羊」にたとえられてきたから彼を差し出したマリアも「子羊」とたとえられたのである。ビサンティンの典礼でもキリストの犠牲とマリアの悲しみの場面にマリア=子羊のたとえが見られる。しかしキリスト(の十字架刊)を象徴的に表現した「神の子羊」図像はあるがマリアを子羊で象徴した図像は無く、「マリア=子羊」の象徴は神学・典礼の域にとどまった。

新約聖書に登場する「羊飼い」は降誕の最初の目撃者である。中世のフランチェスコ会は彼らを清貧の模範として重視したので降誕関連の図像でも重視されるようになる。また彼らの仕事「羊を世話する」は信者を羊にたとえ、信者を世話し導く教会や聖職を象徴する「司牧」概念ともなる。

 現実の羊飼いはマリア崇敬の歴史にたびたび登場している。職業がら市街の外にいることが多い彼らに森や地中からマリア僅を発見したという伝説が帰せられることが多かった。「スペインでは1400年頃、羊飼いがマリア像を奇跡的に発見することが多かった」。しかし羊飼いへのマリア出現で最も有名なのは20世紀のファティマ(3人の牧童が目撃者)である。

女羊飼いマリア 

 1703年、スペイン、セヴィリヤのカプチノ修道会士イジドロに羊飼いの姿をしたマリアが出現した。この出現を契機とした信心会がスペインやその植民地の南アメリカで普及することになる。1795年、ローマ教皇庁はこの信心に関するミサ等を認可し神の女羊飼いをカプチノ会の宣教における守護聖人と認めた。こうした信心に対応する図像表現も盛んになる。93で羊は魂の象徴でありマリアの左手のバラが象徴するロザリオは悪魔に打ち勝つ武器としてある。すなわちこの場面上部に天使の戦いが描かれており地上のマリアと羊はいわば戦いの後の平和というコンテクストに描かれている。戦い、即ち異教に捕らわれている魂を解放するものとしての宣教が詩的に表現されている。女羊飼いマリアは闘うマリアと関連するわけである。

「羊飼い」の服装はマリア像だけでなく実在の宮廷夫人、フランスのポンパドゥール夫人やマリー・アントワネットの肖像画にも登場する。ロココ肖像画の傑作がこうした女性像であるのは恋愛や女性美の礼讃を偶像化したその社会では当然であろう。「トリアノンにおいて彼女(アントワネット)はオペラの女羊飼いの扮装でいることが多かった」。「女羊飼いマリア像の世俗版がポンパドゥール夫人やアントワネットが羊飼いに扮した絵」であり女羊飼いマリア像は世俗のロココの女羊飼いの服装で描かれている」ということになる。1718世紀に羊飼いが登場、あるいは彼らの雰囲気に満ちた文学・演劇ジャンル(田園、牧歌風)が成立して女羊飼いの恋愛が演じられた。ルネサンスから近世にかけてのこうした演劇は宮廷オペラの原型となった。宮廷夫人が羊飼いの扮装をイメージしたのはこうした世界からだった。

フランス18世紀

フランス18世紀

18世紀の美術や風俗の主流はフランスを中心とするロココ様式で、装飾性、優雅な感覚を重視、軽やかさが強い。そこには女性的と評される特徴が目立ち、ロココの画家たちは女性美の表現に質量とも秀でていた。ただし現実の女性や神話などを主題とすることが多くなり、キリスト教の女性像であるマリアの占める割合は減少した。

 ロココ絵画を代表する主題はフェート・ガラン(雅の宴)である。これはヴァトー(16841721)の「シテール島への巡礼」(1717年)という作品に適用すべく提起された美術主題名である。その内実は野外での祝宴、恋の風俗、また神話的仮装をした人々等で、現実の風俗の描写と想像世界の描写の融合がある。このようにロココ絵画はキリスト教の主題とは縁が薄くなっておりマリアを含む図像にも宗教的含蓄は僅かである。「18世紀のキリスト教美術は哲学(啓蒙主義的な)と自由奔放(ロココ的な)の狭間で衰退した」「フラゴナールは聖家族やマリアの教育を描いているが殆ど世俗的作品である。またブーシェの隆誕は雅やかな牧歌風景を想起させる」と否定的な評価がある。ただこうした厳しい評価も主に絵画に向けられたものである。彫刻ではフランスのJ・B・ピガル(17321806)等に宗教美術の高貴さ、純粋さが窺える。彼のマリア像ではサン・ユースタスにある彫刻とパリのサン・スルピス教会にある彫刻が有名である。

ヴァトーの「聖家族の休息」(90、エルミタージュ美術館)の幼な子イエスが戯れる鳩は戯れる幼児を描く際のモティーフとされており聖霊の象徴といった宗教的意義は薄れている。またブーシェ(170370)は市井の娘のように愛らしい美の女神ヴィーナスを多く描いており「ヴィーナスの居室」等に明るい官能的描写が顕著である。ここに紹介する彼のマリア像は1750年の油彩画「羊飼いの礼拝」(91)で時のフランス国王ルイ15世に寵愛されたポンパドゥール夫人の注文で描かれた。ヴィーナスの官能的描写とは異質の世界を展開している。

 ロココの「雅宴」風の傾向は18世紀後半の、流麗な色彩に優れたフラゴナール(17321806)にも健在である。「マリアの教育」(92)はスケッチに近い仕上げの油彩画なので、彼の長所が遺憾なく発揮されていると言い難いが、展覧会で来日した(「フラゴナール展」)。

なお18世紀半ば頃にはロココ的絵画への反発もあった。百科全書の編纂で有名な啓蒙主義者ディドロはブーシェたちを攻撃し、一見「健全な道徳性」を秘めた主題を描いたグルーズ(17251805)のような画家を推奨した。もっとも後のゴンクール兄弟はグルーズ風の絵画は「絵に描かれた道徳」であると非難しており、ディドロの評価が必ずしも当を得ていたわけではない。いずれにせよロココ様式一辺倒ではなかった。

10. 18世紀 天上のイメージ

10. 18世紀 天上のイメージ

 18世紀にマリアの天上での栄光を讃える、複雑で錯綜した図像が増えてくる。たとえばマリア被昇天とマリア戴冠の中間の状態を描きさらに「無原罪の御宿り」の要素も含むといった具合である。87は「天国に迎え入れられるマリア」、